創世記17章15~22節、サムエル記上2章1~10節、ガラテヤ4章8~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 17:15 神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。
 17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」
 17:17 アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」
 17:18 アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」
 17:19 神は言われた。「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。
 17:20 イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。
 17:21 しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」
 17:22 神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。

サムエル記上 2:1 その後ダビデは主に託宣を求めて言った。「どこかユダの町に上るべきでしょうか。」主は言われた。「上れ。」更にダビデは尋ねた。「どこへ上ればよいのでしょうか。」「ヘブロンへ」と主はお答えになった。
 2:2 そこでダビデは二人の妻、イズレエルのアヒノアムとカルメルのナバルの妻であったアビガイルを連れて、ヘブロンへ上った。
 2:3 ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。
 2:4 ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき、
 2:5 ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。
 2:6 今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように。わたしも、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います。
 2:7 力を奮い起こし、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこのわたしに油を注いで自分たちの王としました。」
 2:8 サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、
 2:9 彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした。

 2:10 サウルの子イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった。だが、ユダの家はダビデに従った。

ガラテヤ 4:8 ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
 4:9 しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。
 4:10 あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。
 4:11 あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
 4:12 わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。
 4:13 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
 4:14 そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。
 4:15 あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
 4:16 すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。
 4:17 あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。
 4:18 わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。
 4:19 わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。
 4:20 できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。

 

 

 

主なる神様は、アブラハムの妻サラを祝福し、男の子が生まれるだろうと告げ、子孫は大いに増え、諸国民、諸民族の基となっていくであろうことを告げられた。

しかし、その時アブラハムはすでに百歳と高齢であり、サラも九十歳となり、高齢な夫婦の間に子供など生まれるわけがないと考え、アブラハムは神にひれふしながらも、心の中では馬鹿げたことと思い、笑ったのである。

そのため、生まれてくる子には、笑うという意味を持つイサクと名付けるよう命じられるのである。

神のなさることは、人間には驚くべき、ばかげたこと、笑ってしまうようなことなのかもしれない。

けれど、それほどにありえないほどの奇跡でもあり、本当の意味で笑えるような喜ばしいことと言えるのだろう。

人は、常識的なこととは外れたことや、他人とは違った事をしていると、馬鹿げたことをしていると言って笑われることがある。

しかし、馬鹿げたことというのは、本当は喜ばしいことと、本質的には似通っていることなのだろう。

そんなことがあるわけがない、と言うような事が、神によってはあり得てしまうのである。

私たちの救いもそうであろう。

そんなことが起こるはずがないことを神はなさった。

愚かな人間を救うために、神ご自身が人の姿となってこの世にあらわれ、しかも、愚かな人間の罪を償うために、神の独り子なるイエス様の命を十字架に捧げられたのである。

こうして、本来ならあり得なかった私たちの救いが、神様の不思議な御業、愛の御業によって成し遂げられたのである。

このことを大いに喜び、心の底から笑って生きていきたいものである。