サムエル記下7章18~22節、詩篇80篇2~8,18~20節、ガラテヤ4章1~7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記下 7:18 ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
 7:19 主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。
 7:20 ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。
 7:21 御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。
 7:22 主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。

詩篇 80:2 イスラエルを養う方 ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ 御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください
 80:3 エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい わたしたちを救うために来てください。
 80:4 神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
 80:5 万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。
 80:6 あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ なお、三倍の涙を飲ませられます。
 80:7 わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ 敵はそれを嘲笑います。
 80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

 80:18 御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
 80:19 わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。
 80:20 万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

ガラテヤ 4:1 つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、
 4:2 父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。
 4:3 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。
 4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
 4:5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。
 4:6 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
 4:7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

 

 

ダビデは、自分がイスラエルの王として神に選ばれたことを感謝する祈りを捧げているが、どんなに偉大な務めであったとしても、神からすれば、ほんの小さなことに過ぎないだろうと述べている。

ダビデのように、選ばれるべくして選ばれたような才能ある人物ならば、一国の王として召され、それに対する感謝の祈りも麗しいものと言えるだろう。

しかし、世界の片隅で生きているような、名もなき小さな存在でしかない私たちにしてみれば、このような祈りをしたとして、それは、まさに文字通り「こんな小さな者に神は目を留めて下さる」ことへの感謝の祈りでしかない。

しかし、その祈りは、ダビデの祈りよりも、より真実な祈りと言えるだろう。

私たちには、神に選ばれるような、なんら良いところも才能もない。

それどころか、神を悲しませるような罪を平気で犯し、何一つ救われるような資格を持たない存在でしかない、ちっぽけな者である。

ところが、憐れみ豊かな神さまは、そんなちっぽけな存在の私をも愛して下さり、なんとしても救いたいと願われ、御自分の御子イエス様の命を犠牲にしてまで、救おうとされたのである。

そういう意味では、ダビデの祈りの言葉は、私たち自身の祈りの言葉でもある。

王にはなれないけれど、神の子として神に愛され、召されていることを覚え、感謝したい。