サムエル記上28章3~19節、詩篇98篇、ローマ1章18~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 28:3 サムエルが死んだ。全イスラエルは彼を悼み、彼の町ラマに葬った。サウルは、既に国内から口寄せや魔術師を追放していた。
 28:4 ペリシテ人は集結し、シュネムに来て陣を敷いた。サウルはイスラエルの全軍を集めてギルボアに陣を敷いた。
 28:5 サウルはペリシテの陣営を見て恐れ、その心はひどくおののいた。
 28:6 サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。
 28:7 サウルは家臣に命令した。「口寄せのできる女を探してくれ。その女のところに行って尋ねよう。」家臣は答えた。「エン・ドルに口寄せのできる女がいます。」
 28:8 サウルは変装し、衣を替え、夜、二人の兵を連れて女のもとに現れた。サウルは頼んだ。「口寄せの術で占ってほしい。あなたに告げる人を呼び起こしてくれ。」女は言った。
 28:9 「サウルのしたことをご存じでしょう。サウルは口寄せと魔術師をこの地から断ちました。なぜ、わたしの命を罠にかけ、わたしを殺そうとするのですか。」
 28:10 サウルは主にかけて女に誓った。「主は生きておられる。この事であなたが咎を負うことは決してない。」
 28:11 女は尋ねた。「誰を呼び起こしましょうか。」「サムエルを呼び起こしてもらいたい」と彼は頼んだ。
 28:12 その女は、サムエルを見ると、大声で叫び、サウルに言った。「なぜわたしを欺いたのですか。あなたはサウルさまではありませんか。」
 28:13 王は言った。「恐れることはない。それより、何を見たのだ。」女はサウルに言った。「神のような者が地から上って来るのが見えます。」
 28:14 サウルはその女に言った。「どんな姿だ。」女は言った。「老人が上って来ます。上着をまとっています。」サウルにはそれがサムエルだと分かったので、顔を地に伏せ、礼をした。
 28:15 サムエルはサウルに言った。「なぜわたしを呼び起こし、わたしを煩わすのか。」サウルは言った。「困り果てているのです。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべき事を教えていただくためです。」
 28:16 サムエルは言った。「なぜわたしに尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。
 28:17 主は、わたしを通して告げられた事を実行される。あなたの手から王国を引き裂き、あなたの隣人、ダビデにお与えになる。
 28:18 あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ。
 28:19 主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる。主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される。」

詩篇 98:1  賛歌。 新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって 主は救いの御業を果たされた。
 98:2 主は救いを示し 恵みの御業を諸国の民の目に現し
 98:3 イスラエルの家に対する 慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は わたしたちの神の救いの御業を見た。
 98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
 98:5 琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせ、楽の音に合わせて。
 98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
 98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものよ。
 98:8 潮よ、手を打ち鳴らし 山々よ、共に喜び歌え
 98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる。

ローマ 1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
 1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
 1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
 1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
 1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
 1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
 1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
 1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 

 

 

主なる神様は、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から解放し、約束の地へと導こうとされた。

もちろん、このことは、神様がなさる救いの御業のひな型であって、本当の救いの御業は、私たちを罪と死の奴隷から解放し、永遠の命に至る救いの約束に与らせるためにイエス様が十字架で死なれ、よみがえられて成し遂げられた出来事を指し示すものであろう。

しかし、イスラエルの民は、神様のなさった救いの出来事を体験しながらも、すぐにそのことを忘れ、この世の富や欲望に心を奪われ、やがて消え去っていくようなものばかりに心を囚われていくのである。

それは現代に生きる我々にも当てはまる事だろう。

イエス様の尊い命の代価が支払われることによって贖われた命の約束を頂いているにも関わらず、人はなんと愚かなことばかりに心を囚われて生きようとしていることであろうか。

いったいそれらのものが私たちを永遠に生かしてくれるというのだろうか。

今一度、聖書を通して神様が成し遂げられた救いの約束を思い起こし、いったい私たちはどこから救われ、どこへ向かおうとしているのかということを覚えたい。

そうすれば、どんな境遇にあろうとも、きっと真実の喜びや平安が与えられることだろう。

イエス様の尊い犠牲によって救われた素晴らしい神の御業を覚えつつ、喜んで生きていきたいものである。