箴言15章8~11,24~33節、詩篇32篇1~7節、2コリント1章1~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 15:8 主は逆らう者のいけにえをいとい 正しい人の祈りを喜び迎えられる。
 15:9 主は逆らう者の道をいとい 従うことを求める人を愛される。
 15:10 道を捨てる者は諭しを不快に思う。懲らしめを憎む者は死に至る。
 15:11 陰府も滅びの国も主の御前にある。人の子らの心はなおのこと。

 15:24 目覚めている人には上への道があり 下の陰府を避けさせる。
 15:25 主は傲慢な者の家を根こそぎにし やもめの地境を固めてくださる。
 15:26 悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる。
 15:27 奪い取る者の家には煩いが多い。賄賂を憎む者は命を得る。
 15:28 神に従う心は思いめぐらして応答し 神に逆らう口は災いを吐く。
 15:29 主は逆らう者に遠くいますが 従う者の祈りを聞いてくださる。
 15:30 目に光を与えるものは心をも喜ばせ 良い知らせは骨を潤す。
 15:31 命を与える懲らしめに聞き従う耳は 知恵ある人の中に宿る。
 15:32 諭しをなおざりにする者は魂を無視する者。懲らしめに聞き従う人は心を得る。
 15:33 主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜。

詩篇 32:1  ダビデの詩。マスキール。 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
 32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
 32:3 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
 32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
 32:5 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。
 32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
 32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。

2コリント 1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。
 1:2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。
 1:4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
 1:5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
 1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。
 1:7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
 1:8 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。
 1:9 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
 1:10 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。
 1:11 あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。

 

 

主なる神様は、私たちに対し、謙遜で従順に生きるように求めておられる。

しかし、ただ全てに対し、そうあるべきといよりも、主なる神に対して、そうであることが大切なのだと言えるだろう。

たとえば、理不尽な人の要求に対し、何でもいうことを聞いていけば良いというわけでもなく、たとえば悪いことであったり、犯罪に加担するようなことを要求されて、素直にそれに従って行くことは明らかに間違っていると言える。

では、人に対して、どこまで謙遜で従順に仕えていくべきか、なかなか難しい問題ではあるが、他者に仕えていくことによって、その人に真の幸いが訪れるのなら、そうするべき、ということであろう。

もちろん、そこに、その人の救いがもたらされることを願いつつ、仕えて行けば、それが一番であろう。

聖書には、パウロらが多くの困難や迫害の中にあっても、それに耐えながら伝道の働きを進めて行ったことが記されている。

ひとりでも多くの人が救われて、まことの命にあずかることを心から願っていたからであろう。

謙遜で従順に生きるということは、尊いことであるが、それが何のためになされるのかということを覚えつつ、人が救われるために仕えていくものとならせていただきたいものである。