創世記31章43節~32章2節、詩篇121篇、2テモテ2章14~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 31:43 ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。
 31:44 さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」
 31:45 ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、
 31:46 一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言った。彼らは石を取ってきて石塚を築き、その石塚の傍らで食事を共にした。
 31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ。
 31:48 ラバンはまた、「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」とも言った。そこで、その名はガルエドと呼ばれるようになった。
 31:49 そこはまた、ミツパ(見張り所)とも呼ばれた。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。
 31:50 もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」とラバンが言ったからである。
 31:51 ラバンは更に、ヤコブに言った。「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。
 31:52 この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。
 31:53 どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」ヤコブも、父イサクの畏れ敬う方にかけて誓った。
 31:54 ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事の後、彼らは山で一夜を過ごした。 
 32:1 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。
 32:2 ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。

詩篇 121:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
 121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
 121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
 121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
 121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
 121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
 121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
 121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

2テモテ 2:14 これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。
 2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
 2:16 俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、
 2:17 その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。
 2:18 彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。
 2:19 しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。
 2:20 さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
 2:21 だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。
 2:22 若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
 2:23 愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。
 2:24 主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、
 2:25 反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。
 2:26 こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。

 

 

私たち全ての人間は、神が創られた命の器である。

人それぞれに姿形や性格、能力も違うけれど、その造られた目的は同じである。

神の栄光を現わし、神の御心に従い、神と人とを愛するために私たちは創られ、生かされているのである。

そんな尊い存在である器を、俗悪で無駄なことに用いていては、なんとも残念なことである。

日常の生活は、漠然と過ごしていれば、いつの間にかこの世の誘惑や富、快楽などに心惹かれて、俗悪なものに導かれてしまいがちである。

時々自分自身を見つめ直すことも大切であろう。

そのために必要なことは、神の言葉である聖書の言葉に耳を傾けていく機会を持つことであろう。

最初は分からない事が多くてもいい。

そのうちいつかわかるだろう、そんな気持ちでいいから、まずは読み始めて見て欲しい。

そして、分からないことがあったら、聖書に詳しい人に尋ねてみるのも良い。

どう生きるか、何を話すか、何を聞くか、何を信じるか、といったことは、人が創られた目的を知ることから始まる。

神に愛され、生かされている幸いを覚えたいものである。