レビ記 14:33 主はモーセとアロンにこう仰せになった。
14:34 あなたたちが所有地としてわたしから与えられるカナンの土地に入るとき、あなたたちの所有地で家屋にかびが生じるならば、
14:35 家の主人は祭司に「かびらしきものがわたしの家屋に生じました」と報告する。
14:36 祭司は、かびの状態を見に入る前に、その家屋の中にある物を屋外に出すようにと命じて、家屋の中にある物が全部汚れないようにしてから、家屋を調べるために入り、
14:37 かびの状態を見る。家屋の壁に青かびか、赤かびが生じており、壁の内部にまで及んでいるように見えるならば、
14:38 祭司は家から出て入り口に立ち、家屋を一週間封鎖する。
14:39 七日目に、祭司は再び来て見る。かびが家屋の壁に広がっているならば、
14:40 祭司は命じて、かびが生じている部分の石材を抜き取り、町の外にある汚れた場所に捨てさせ、
14:41 家屋の内側を削り取らせて、削り取ったしっくいを町の外にある汚れた場所に捨てさせ、
14:42 別の石材を取って元の石材の代わりに入れさせ、別のしっくいで家屋の内部を塗らせる。
14:43 しかし、石材を抜き取り、家屋の内側を削り取って、しっくいで塗った後でも、再びかびが生じて家屋に広がるならば、
14:44 祭司は来て調べる。かびが家屋に広がっているならば、それは悪性のかびであり、その家屋は汚れている。
14:45 それを打ち壊し、石材、木材、しっくいをすべて町の外にある汚れた場所に運び出させる。
14:46 封鎖期間中にこの家屋に入った者はすべて、夕方まで汚れる。
14:47 また、この家屋で寝たり、食べたりした者は衣服を水洗いする。
14:48 家屋をしっくいで塗り変えた後、祭司が見に来て、かびが広がっていなければ、祭司はその家屋を清いと宣言する。かびは治まったのである。
14:49 そして、この家屋の汚れを清めるために、二羽の鳥、杉の枝、緋糸およびヒソプを用意する。
14:50 まず、新鮮な水を満たした土器の上で鳥の一羽を殺す。
14:51 次に、杉の枝、ヒソプ、緋糸と共にもう一羽の生きている鳥を取って、さきに殺した鳥の血と新鮮な水に浸し、家屋に七度振りまく。
14:52 こうして、鳥の血、新鮮な水、生きた鳥、杉の枝、ヒソプおよび緋糸をもって家屋を清める。
14:53 その後、祭司は生きている鳥を町の外の野に放つ。こうして、家屋のための贖いの儀式を行うと、家は清められる。
詩篇 111:1 ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる 正しい人々の集い、会衆の中で。
111:2 主の御業は大きく それを愛する人は皆、それを尋ね求める。
111:3 主の成し遂げられることは栄え輝き 恵みの御業は永遠に続く。
111:4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み
111:5 主を畏れる人に糧を与え 契約をとこしえに御心に留め
111:6 御業の力を御自分の民に示し 諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。
111:7 御手の業はまことの裁き 主の命令はすべて真実
111:8 世々限りなく堅固に まことをもって、まっすぐに行われる。
111:9 主は御自分の民に贖いを送り 契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
111:10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。
2テモテ 1:13 キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。
1:14 あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。
1:15 あなたも知っているように、アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。その中にはフィゲロとヘルモゲネスがいます。
1:16 どうか、主がオネシフォロの家族を憐れんでくださいますように。彼は、わたしをしばしば励まし、わたしが囚人の身であることを恥とも思わず、
1:17 ローマに着くとわたしを熱心に探し、見つけ出してくれたのです。
1:18 どうか、主がかの日に、主のもとで彼に憐れみを授けてくださいますように。彼がエフェソでどれほどわたしに仕えてくれたか、あなたがだれよりもよく知っています。
レビ記14章の箇所には、重い皮膚病に関する記述に続いて、建物に発生するカビについて言及されている。
カビは、最初はほとんど目には見えないけれど、いったんカビの胞子が固着してしまうと、換気をするなどの適切な手入れがなされなければ、そこでどんどん増え続け、もはや手が付けられない状態となっていってしまうのである。
もちろん、カビが生えてしまうと、健康にも害を及ぼすようになってしまう。
多少のカビなら、それほど害とはならないものの、やはり、多くなってしまうと、体の機能だけでは対処しきれなくなってしまうのである。
こうした問題は、人間の罪の問題にも似ているように思う。
最初はほんの小さな罪の欠片のようなものであっても、それを放置したまま、適切に扱われないままでいると、次第にそれがどんどん大きくなって、やがて、人間関係にも害を及ぼすようになっていってしまう。
罪を一切取り除くということは、難しいし、どんなにそれに注意していても、人が生きている限りは避けられない問題であろう。
しかし、適切に管理をしていれば、それほど大きな害をもたらすようなことにはならないのではないだろうか。
聖書には、すべての人間は罪を犯しており、それは無くすことはできないものであることも指摘している。
どうしようもない。
しかし、主なる神は、そんな私たちを救うため、私たちの身代わりとなって罪のゆえに受けなければならない裁きを引き受けて下さったのである。
それゆえ、イエス様を救い主として信じるものは、たとえ罪を犯すことがあっても、神さまからの赦しの約束をいただき、天の御国において、永遠の命の約束を頂くことができるのである。
私たちにできることは、この聖書の約束に信頼することだけであるが、それができていれば、建物にカビがはえないように(実際には見えない程度には生えているのであろうけれども)清潔に保つことができるのであろう。
神様の成し遂げて下さった救いの御業の約束を覚えつつ、神様の憐れみのもとに身を置くことで、適切な対処を怠らないよう、努めていきたいものである。