モセア12章3~15節、詩篇62篇、マタイ19章16~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ホセア 12:3 主はユダを告発される。ヤコブをその歩みにしたがって罰し その悪い行いに報いられる。
 12:4 ヤコブは母の胎にいたときから 兄のかかとをつかみ 力を尽くして神と争った。
 12:5 神の使いと争って勝ち 泣いて恵みを乞うた。神はベテルで彼を見いだし そこで彼と語られた。
 12:6 主こそ万軍の神 その御名は主と唱えられる。
 12:7 神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち 常にあなたの神を待ち望め。
 12:8 商人は欺きの秤を手にし、搾取を愛する。
 12:9 エフライムは言う。「わたしは豊かになり、富を得た。この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは だれも気づくまい。」
 12:10 わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしは再びあなたを天幕に住まわせる わたしがあなたと共にあった日々のように。
 12:11 わたしは預言者たちに言葉を伝え 多くの幻を示し 預言者たちによってたとえを示した。
 12:12 ギレアドには忌むべきものがある。まことにそれらはむなしい。ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている。その祭壇は畑の畝に積まれた石塚にすぎない。
 12:13 ヤコブはアラムの野に逃れ イスラエルは妻を得るために仕え また妻を得るために群れを守った。
 12:14 主は一人の預言者によって イスラエルをエジプトから導き上らせ 預言者によって彼らを守られた。
 12:15 エフライムは主を激しく怒らせた。主は流血の報いを彼に下し その恥辱を彼に返される。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。 
 62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
 62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
 62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
 62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
 62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
 62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
 62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
 62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
 62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
 62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
 62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
 62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

マタイ 19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
 19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
 19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
 19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
 19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
 19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
 19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

 

 

 

今日からまたモノの値段が上がるそうである。

限られた収入の中でやり繰りしながら生きていくことは、なかなか大変なことである。

神と人とを愛し、愛と憐れみに満ちた人生を送ろうと思えば、人は多くの富や自分の時間を他者のために提供していかなければならず、それは決して生易しいものではなく、かえって貧しく苦しくなるばかりであるだろう。

馬鹿正直に生きていこうとすれば、人はかなり苦労することになるだろう。

だから、どこかで妥協することも覚える必要があるし、ある程度、計算高く振舞う事も必要となってくる。

多くのものを与えていくためには、それらを所有している必要があるし、出すばかりで入るものがなければ、出すものもだすことはできない。

「入るを量りて出ずるを制す」ではないが、上手に出していくためには、上手に入ってくることも考えておかねばならない。

何もせず、ただぼうっとしていても、天から常にマナが降ってくるわけでもないし、働いて収入を得ていくことも必要なことであろう。

大切なことは、何のためにそれらの収入を得て、そして、何のために用いていくか、ということであろう。

イエス様も、ただ単に全ての財産を神に捧げよ、と言っているわけではなく、それらの財産に頼ることで、神に頼ることを見失ってしまう事のないようにと仰せられているのであろう。

主のために稼ぎ、稼いだものを主のために用いるなら、それはそれで尊いことであろう。

人が喜んでいられるように、平安のうちに生きて行けるように、そのために必要なことも満たされていきますように。