アモス6章8~14節、詩篇62篇、黙示録3章14~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス 6:8 主なる神は御自分を指して誓われる。万軍の神なる主は言われる。わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い その城郭を憎む。わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。
 6:9 もし、一軒の家に男が十人残っているなら、彼らも死ぬ。
 6:10 親族と死体を焼く者が、彼らを家の中から運び出す。そのとき、一人が家の奥にいる者に、「まだ、あなたと共にいる者がいるのか」と尋ねると、「いない」と答え、「声を出すな、主の名を唱えるな」と言う。
 6:11 見よ、主が命じられる。「大きな家を打って粉々にし 小さな家をみじんにせよ。」
 6:12 馬が岩の上を駆けるだろうか 牛が海を耕すだろうか。お前たちは裁きを毒草に 恵みの業の実を苦よもぎに変えた。
 6:13 お前たちはロ・ダバル(空虚)を喜び 「我々は自分の力で カルナイムを手に入れたではないか」と言う。
 6:14 しかし、イスラエルの家よ わたしはお前たちに対して一つの国を興す。彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで お前たちを圧迫すると 万軍の神なる主は言われる。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
 62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
 62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
 62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
 62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
 62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
 62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
 62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
 62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
 62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
 62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
 62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
 62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

黙示録 3:14 ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。
 3:15 「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
 3:16 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
 3:17 あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
 3:18 そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
 3:19 わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
 3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
 3:21 勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
 3:22 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」

 

 

 

多くの人は、都会の便利で華やかな暮らしを求め、そこで豊かな人生を送りたいと願うだろう。

しかしそのような世界で生きていくためには、当然のことながら、多くの富も必要となる。

むしろ、それらの富に心が引かれているからこそ、そうした世界に身を置こうとするのだろう。

しかし、当然のことながら、どれだけ多くの富を抱えていても、人はそれを天の御国へ持って行くことはできないし、それらによって天の御国へはいることができるようになるわけでもない。

ルカ16章の箇所には、金持ちとラザロのたとえをイエス様が語られているが、ラザロが天の御国へ入ることができたのは、彼が何も持たず、飢えと病に苦しみ、ただただ彼が神の憐れみを受けるしかない存在であったからであろう。

しかし、それでいい。

それがいい。

神が私たちをも憐れんで下さる。

その神の呼びかけの言葉に耳を傾け、天の御国へと招き入れて頂こう。

必要な贖いは、御子イエス様が十字架の出来事によって、全て支払って下さった。

あとは信じるだけである。

頼りにならないものに心を奪われて、滅んだような人生を送るのではなく、まことに頼りになるお方の救いの約束に信頼し、まことに幸いな人生を歩ませていただきたいものである。