申命記29章1~19節、詩篇1篇、マタイ10章34~42節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 29:1 モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。あなたたちは、主がエジプトの国で、ファラオおよびそのすべての家臣、またその全領土に対してなさったことを見た。
 29:2 あなたはその目であの大いなる試みとしるしと大いなる奇跡を見た。
 29:3 主はしかし、今日まで、それを悟る心、見る目、聞く耳をあなたたちにお与えにならなかった。
 29:4 わたしは四十年の間、荒れ野であなたたちを導いたが、あなたたちのまとう着物は古びず、足に履いた靴もすり減らなかった。
 29:5 あなたたちはパンを食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。それは、わたしがあなたたちの神、主であることを、悟らせるためであった。
 29:6 あなたたちがこの所に来たとき、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグは我々を迎え撃つために出て来たが、我々は彼らを撃ち、
 29:7 彼らの国を占領して、ルベン人、ガド人、マナセの半部族の嗣業の土地とした。
 29:8 あなたたちはそれゆえ、この契約の言葉を忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちのすることはすべて成功する。
 29:9 今日、あなたたちは、全員あなたたちの神、主の御前に立っている。部族の長、長老、役人、イスラエルのすべての男子、
 29:10 その妻子、宿営内の寄留者、薪を集める者から水をくむ者に至るまでいる。
 29:11 それは、あなたがあなたの神、主の契約に入り、あなたの神、主が今日あなたと結ばれる呪いの誓いを交わすためであり、
 29:12 今日、主があなたを立てて御自分の民とし、自らあなたの神となられるためである。主がかつてあなたに告げ、先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたとおりである。
 29:13 わたしはあなたたちとだけ、呪いの誓いを伴うこの契約を結ぶのではなく、
 29:14 今日、ここで、我々の神、主の御前に我々と共に立っている者とも、今日、ここに我々と共にいない者とも結ぶのである。
 29:15 我々がエジプトの国にとどまっていたことも、国々の間を通って来たことも、あなたたちは、自ら通って来たので、よく知っている。
 29:16 あなたたちは、彼らが木や石、銀や金で造られた憎むべき偶像を持っているのを見て来た。
 29:17 今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない。
 29:18 もし、この呪いの誓いの言葉を聞いても、祝福されていると思い込み、「わたしは自分のかたくなな思いに従って歩んでも、大丈夫だ」と言うならば、潤っている者も渇いている者と共に滅びる。
 29:19 主はその者を決して赦そうとはされない。そのときこそ、主の怒りとねたみが燃え上がり、この書に記されている呪いの誓いがすべてその者にのしかかり、主はその名を天の下から消し去られる。

詩篇 1:1 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
 1:2 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
 1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
 1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず 罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
 1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

マタイ 10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
 10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
 10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
 10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
 10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
 10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
 10:41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
 10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

 

 

 

聖書には、唯一のまことの神を信じ、その神様が成し遂げられた救いの約束にあずかるように勧められている。

当然、それ以外に私たちが救われる方法はない、というのが聖書の教えであり、それゆえ、私たちが何らかの救いや見返りを期待して、他の神々を拝んだり頼ったりすることを戒めている。

それは「ねたむ神」とまで表現されるほどであるが、実際には「ねたむ」というより、どれほど愛しているか、その愛の深さを表している表現なのだろう。

だから、「私以外の神を愛してはならない」という言い方をされる時、やや、厳しい言葉のようにも思えるが、その厳しさとは、真実の愛であるということに他ならないし、それほど真剣に神様は私たちのことを愛し、救いたいと願っておられるということを覚えたい。

もっとも、私たち人間は完璧ではないし、しばしば神様を悲しませてしまうようなこともしてしまう。

けれど、だからこそイエス様の十字架のゆえに罪を赦していただき、神に深く愛されている者であることを覚えることが大切なのだろう。

いつでも、何度でも、イエス様の十字架のもとにたちかえり、その都度、神に深く愛されている者であることを覚えよう。