エゼキエル20章18~32節、詩篇109篇21~31節、黙示録3章7~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 20:18 わたしは、荒れ野で彼らの子供たちに語った。『お前たちの父祖の掟に従って歩んではならない。彼らの裁きを守ってはならない。また、彼らの偶像で自らを汚してはならない。
 20:19 わたしはお前たちの神、主である。お前たちは、わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを守り行い、
 20:20 わたしの安息日を聖別して、わたしとお前たちとの間のしるしとし、わたしがお前たちの神、主であることを知れ』と。
 20:21 しかし、子供たちもわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを守り行わず、わたしの安息日を汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で彼らの上に憤りを注ぎ、怒りを浴びせる、と言った。
 20:22 しかし、わたしは手を引き戻し、わが名のために、わたしがイスラエルを連れ出したときに見ていた諸国民の前でわたしの名を汚すことがないようにした。
 20:23 ただし、わたしは荒れ野で彼らに誓い、彼らを諸国民の間に散らし、諸国に追いやると告げた。
 20:24 なぜなら、彼らがわたしの裁きを行わず、わたしの掟を退け、わたしの安息日を汚し、彼らの父祖の偶像に目をひかれていたからである。
 20:25 わたしもまた、良くない掟と、それによって生きることができない裁きを彼らに与えた。
 20:26 また、彼らが初子をすべてささげたとき、わたしは彼らの献げ物によって彼らを汚した。それは、わたしが彼らを荒廃させ、わたしが主であることを知らせるためであった。
 20:27 それゆえ、イスラエルの家に語りなさい。人の子よ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。お前たちの父祖は、わたしに対して裏切りを行い、またもや、わたしを冒涜した。
 20:28 わたしが与えると誓ったその地に彼らを導き入れたとき、彼らは高い丘や茂った木を見ると、どこででも、いけにえをささげ、わたしを怒らせる供え物をささげた。彼らはまた、そこで宥めの香りをたき、ぶどう酒の献げ物を注ぎかけた。
 20:29 わたしは彼らに言った。『お前たちが通う聖なる高台は一体何か』と。それゆえ、今日までその場所の名は、聖なる高台と呼ばれている。
 20:30 それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前たちは父祖の歩みに従って自らを汚し、彼らの憎むべき偶像と姦淫を行ってきた。
 20:31 また、自分の子供を献げ物として火の中を通らせ、すべての偶像によって今日に至るまで自らを汚している。それなのに、イスラエルの家よ、わたしはお前たちの求めに応じられようか。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは決してお前たちの求めには応じない。
 20:32 お前たちは、『我々は諸国民のように、また、世界各地の種族のように、木や石の偶像に仕えよう』と言っているが、お前たちが心に思うそのようなことは決して実現しない。

詩篇 109:21 主よ、わたしの神よ 御名のために、わたしに計らい 恵み深く、慈しみによって わたしを助けてください。
 109:22 わたしは貧しく乏しいのです。胸の奥で心は貫かれています。
 109:23 移ろい行く影のようにわたしは去ります。いなごのように払い落とされます。
 109:24 断食して膝は弱くなり からだは脂肪を失い、衰えて行きます。
 109:25 わたしは人間の恥。彼らはわたしを見て頭を振ります。
 109:26 わたしの神、主よ、わたしを助けてください。慈しみによってお救いください。
 109:27 それが御手によることを、御計らいであることを 主よ、人々は知るでしょう。
 109:28 彼らは呪いますが あなたは祝福してくださいます。彼らは反逆し、恥に落とされますが あなたの僕は喜び祝います。
 109:29 わたしに敵意を抱く者は辱めを衣とし 恥を上着としてまとうでしょう。
 109:30 わたしはこの口をもって 主に尽きぬ感謝をささげ 多くの人の中で主を賛美します。
 109:31 主は乏しい人の右に立ち 死に定める裁きから救ってくださいます。

黙示録 3:7 フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。
 3:8 「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。
 3:9 見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。
 3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。
 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
 3:12 勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。
 3:13 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。」』

 

 

 

黙示録には、幻を通して、神のなさる事や天の御国における事柄などが預言されている。

3章の箇所には、天の御国の門について語られていると言え、それは誰にも開けたり閉めたりすることのできない門であり、神にしか開け閉めできないことが語られている。

人間がどんなに善き行いをしたり、この世において、どんな地位や名声を得たとしても、そういったものによって救われるどうかが決まるわけではなく、ただただ、神の憐れみの御業のゆえに、その救いの約束を信じる者だけがそこを通って天の御国に入ることができる、ということなのであろう。

聖書には、そのことを告げる救いの約束が語られている。

私たちにできるのは、そのことが私たちのために神が成し遂げて下さった救いの御業であることを信じ、感謝して受け留めることだけである。

しかし、それで良いし、それこそが神が私たちに求めている事であろう。

弱く、愚かな者であることには変わりはないかもしれないが、聖書に記されている救いの約束の言葉に信頼し、真っすぐに天の御国を見上げつつ、今の世における人生を歩んでいきたいものである。