コヘレト9章13~18節、詩篇25篇11~20節、マタイ25章31~46節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト 9:13 わたしはまた太陽の下に、知恵について次のような実例を見て、強い印象を受けた。
 9:14 ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。
 9:15 その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。
 9:16 それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが この貧しい人の知恵は侮られ その言葉は聞かれない。
 9:17 支配者が愚か者の中で叫ぶよりは 賢者の静かに説く言葉が聞かれるものだ。
 9:18 知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう。

詩篇 25:11 主よ、あなたの御名のために 罪深いわたしをお赦しください。
 25:12 主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。
 25:13 その人は恵みに満たされて宿り 子孫は地を継ぐであろう。
 25:14 主を畏れる人に 主は契約の奥義を悟らせてくださる。
 25:15 わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。
 25:16 御顔を向けて、わたしを憐れんでください。わたしは貧しく、孤独です。
 25:17 悩む心を解き放ち 痛みからわたしを引き出してください。
 25:18 御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。どうかわたしの罪を取り除いてください。
 25:19 御覧ください、敵は増えて行くばかりです。わたしを憎み、不法を仕掛けます。
 25:20 御もとに身を寄せます。わたしの魂を守り、わたしを助け出し 恥を受けることのないようにしてください。

マタイ 25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
 25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
 25:33 羊を右に、山羊を左に置く。
 25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
 25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
 25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
 25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
 25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
 25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
 25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 25:41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
 25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
 25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
 25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
 25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
 25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 

 

人の世においては、どういうわけか、善人のなす愛の業であるとか、本当に知恵ある人の行為など、見逃されやすい。

それよりも、富や権力を持っている者や、多くの人に知られる有名な人の言葉などがもてはやされる。

同じことを言っていても、かたや多くの人々を励ますために言い広められるのに、全く相手にされないでひっそりと忘れ去られていく人もいる。

しかし、それは、その人が善しいから、自分を良く見せようとしたり、大きく見せようとしたりすることを求めていないからであろう。

 

マタイ6:1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

 

きっとこれで良いのだ。

見せるために、人に知られるために行うよりは、神に喜ばれる者でありたい。

人の世の報いよりは、神の国でうける報いの方がよい。

見られていようが、見られていまいが、神の御前によしとされることを選びながら、生きて行こう。