レビ記 19:9 穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。
19:10 ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。
19:11 あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。
19:12 わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
19:13 あなたは隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない。
19:14 耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。
19:15 あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。
19:16 民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。
19:17 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。
19:18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
詩篇133篇 133:1 都に上る歌。ダビデの詩。 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
133:2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り 衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
133:3 ヘルモンにおく露のように シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された 祝福と、とこしえの命を。
ルカ 10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
レビ記の箇所に書かれていることは、非常に興味深い内容である。
穀物を収穫する時に、畑の隅々まで残らず刈り取るような仕方ではなく、あえて落穂を残すことで、貧しい人たちがそれを拾って生活の糧とするようにしなさい、といったものである。
また、盗んだり、うそをついたり、互いに欺いたりせず、隣人を虐げたり、奪い取ったりしないように勧められている。
これらの勧めは、何も積極的な愛の行為を推奨するものというよりも、どちらかと言うと、害悪となるようなことを避けるようにといった内容となっており、普通に暮らしていれば、特に難しいものではないものばかりである。
愛の業とは、なにかこちらが大きな犠牲を支払って相手を助けたり、相手のために全てを捧げていくようなものばかりではなく、むしろ、ちょっとした小さな配慮とか、心配りが大切なのであろう。
しかし、それすらなかなかできないのが実情なのかもしれない。
とくに、現代のように余裕がなく、ギスギスした社会の状況においては、もはやちょっとした配慮すらも難しいのかもしれない。
けれど、一人一人が、少しずつ少しずつ思いを分け合っていけば、きっと、厳しい中にも、温かいものは生まれてくるに違いない。
案外、それを続けていくことで、社会全体に余裕も生まれていくのではないだろうか。
人は一人だけで生きていくものではない。
互いに助け合いながら、共に生きて行こうとするところで、人は生きていけるのだということを忘れないでいたいものである。