サムエル記上20章1~23節、詩篇133篇、使徒11章19~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 20:1 ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」
 20:2 ヨナタンはダビデに答えた。「決してあなたを殺させはしない。父は、事の大小を問わず、何かするときには必ずわたしの耳に入れてくれる。そのような事を父がわたしに伏せておくはずはない。そのような事はない。」
 20:3 それでもダビデは誓って言った。「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じのお父上は、『ヨナタンに気づかれてはいけない。苦しませたくない』と考えておられるのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です。」
 20:4 ヨナタンはダビデに言った。「あなたの望むことは何でもしよう。」
 20:5 ダビデはヨナタンに言った。「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。
 20:6 そのとき、お父上がわたしの不在に気づかれたなら、『ダビデは、自分の町ベツレヘムへ急いで帰ることを許してください、一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりません、と頼み込んでいました』と答えてください。
 20:7 王が、『よろしい』と言われるなら、僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思ってください。
 20:8 あなたは主の御前で僕と契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください。もし、わたしに罪があるなら、あなた御自身わたしを殺してください。お父上のもとに引いて行くには及びません。」
 20:9 ヨナタンは言った。「そのような事は決してない。父があなたに危害を加える決心をしていると知ったら、必ずあなたに教えよう。」
 20:10 ダビデはヨナタンに言った。「だが、父上が厳しい答えをなさったら、誰がわたしに伝えてくれるのでしょう。」
 20:11 「来なさい、野に出よう」とヨナタンは言った。二人は野に出た。
 20:12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主にかけて誓って言う。明日または、明後日の今ごろ、父に探りを入れ、あなたに好意的なら人をやって必ず知らせよう。
 20:13 父が、あなたに危害を加えようと思っているのに、もしわたしがそれを知らせず、あなたを無事に送り出さないなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰してくださるように。主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。
 20:14 そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、
 20:15 また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」
 20:16 ヨナタンはダビデの家と契約を結び、こう言った。「主がダビデの敵に報復してくださるように。」
 20:17 ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛していたので、更にその愛のゆえに彼に誓わせて、
 20:18 こう言った。「明日は新月祭だ。あなたの席が空いていれば、あなたの不在が問いただされる。
 20:19 明後日に、あなたは先の事件の日に身を隠した場所に下り、エゼルの石の傍らにいなさい。
 20:20 わたしは、その辺りに向けて、的を射るように、矢を三本放とう。
 20:21 それから、『矢を見つけて来い』と言って従者をやるが、そのとき従者に、『矢はお前の手前にある、持って来い』と声をかけたら、出て来なさい。主は生きておられる。あなたは無事だ。何事もない。
 20:22 だがもし、その従者に、『矢はあなたのもっと先だ』と言ったら、逃げなければならない。主があなたを去らせるのだ。
 20:23 わたしとあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。」

 

詩篇 133:1  都に上る歌。ダビデの詩。 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
 133:2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り 衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
 133:3 ヘルモンにおく露のように シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された 祝福と、とこしえの命を。

 

使徒 11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
 11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
 11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
 11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
 11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
 11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
 11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
 11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

 

 

 

 

 

友とか仲間といった人たちは、おおよそ、同じ志を持っていたり、心が通じ合っていたりして、一緒にいることが心地よい存在であろう。

しかし、だからと言って、全てのことが上手くいくとは限らず、仲が良いはずなのに、なぜかトラブルになってしまったりすることもある。

一方、それれほど意見が合わないにも関わらず、不思議と共に行動できたり、いろんなことが上手く運んでいくケースもある。

人とは不思議なもので、案外、意見が異なる人同士のほうが上手く事が運んでいくこともあったり、何が幸いするか分からない。

なぜうまくいくのか、あるいは、上手くいかないのか、そこには人間の思惑を超えた見えない力が働いているのかもしれない。

私たちは、そこに神の御心が働いていると考える。

自分の思いなら、必ずしもうまくいくとは限らないが、神の御心なら、それはきっと必ず成る。

少なくとも、私たちはそう信じている。

自分の思いを押し通すのではなく、神の御心がどこにあるのかということを求めつつ、少々意見が異なっていたり、馬が合わないように思えることがあったとしても、協力できるところは互いに協力しながら、大切な事が進められていくように神に用いられていくことを願いたい。