エゼキエル20章39~44節、詩篇23篇、黙示録6章1節~7章4節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 20:39 お前たちイスラエルの家よ、主なる神はこう言われる。おのおの自分の偶像のもとに行き、それに仕えよ。その後、お前たちは必ずわたしに聞き従い、二度と偶像に贈り物をささげて、わたしの聖なる名を汚すことはなくなる。
 20:40 わたしの聖なる山、イスラエルの高い山で、と主なる神は言われる。そこにおいてのみ、この地にいるイスラエルの家はすべて、こぞってわたしに仕える。そこでのみ、わたしは彼らを受け入れ、その所で、献げ物と聖なる最上の供え物を求める。
 20:41 わたしは、宥めの香りと共に、お前たちを受け入れる。わたしが諸国の民の中から連れ出し、散らされていた国々から集めるとき、わたしは諸国民の前で、お前たちに自分を聖なる者として示す。
 20:42 わたしが、先祖に与えると誓った地、イスラエルの土地に導き入れるとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
 20:43 その所で、お前たちは自分の歩んだ道、自分を汚したすべての行いを思い起こし、自分の行ったあらゆる悪のゆえに自分を嫌悪するようになる。
 20:44 お前たちの悪い道や堕落した行いによることなく、わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」と主なる神は言われる。

 

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
 23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
 23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
 23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
 23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

 

黙示録 6:1 また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
 6:2 そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。
 6:3 小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
 6:4 すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。
 6:5 小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。
 6:6 わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
 6:7 小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。
 6:8 そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。
 6:9 小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。
 6:10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」
 6:11 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。
 6:12 また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
 6:13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。
 6:14 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
 6:15 地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、
 6:16 山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。
 6:17 神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。
 7:1 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
 7:2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
 7:3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
 7:4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。

 

 

 

 

 

 

聖書には、特に黙示録などにおいては、主なる神様がこの世界に生きる全てのものに対する審判の時がもたらされるようなことが記されている。

人も、この世界に生きる全てのものも、それを避けることも、それから逃れることもできない。

なす術もなく、ただ神のなさる御業の前に裁きを受けるしかない。

しかし、それは決して恐れることばかりでもない。

なぜなら、神は愛のお方であり、憐れみ深いお方でもあるからである。

人間の成すことは、ほとんど全て、自分勝手でよこしまで、はっきり言ってしまえば、害悪なことをもたらすだけであるが、神はそうではない。

もちろん、時に厳しい裁きもなさるのかもしれないが、それは正しい裁きである。

正しい裁きであるならば、何も恐れることは無く、すっかり任せておけば良い。

そもそも、我々人間には、自分を救う事の出来る力も資格も何も持ち合わせていないのだ。

だから、まことの愛と憐れみに満ちた主なる神のなさる御業に委ねて行けば良い。

なにより、主なる神様は、私たち人間を愛し、救うために、自らの命をも惜しまず犠牲にして十字架で死なれるようなお方である。

何も恐れず、すっかり任せていよう。