ルカ6章6~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ 6:6 また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
6:7 律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。
6:8 イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。
6:9 そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」
6:10 そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。
6:11 ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。

イエス様の時代、安息日には、いかなることもしてはならないと考える人が多く、あらゆる労働を禁じ、中には自分の生活の中における細かな行動まで「労働」と考える者もいたようである。
煮炊きしてはならないとか、自分が生きていくために必要な業でさえ禁じるのである。
そして、そのような戒めは、隣人へも向かい、困っている人や病人を助けてあげることも、癒しの業として、労働と捉える者もいたのであろう。
こうなると、一体、何のための安息日なのかわからなくなってくる。
安息日とは、心も体も休め、神の前に静まって感謝の時を持つべきであるにも関わらず、アレもだめ、コレもだめと言う風にあらゆることを禁じていくことで、不自由を強いられることになる。
不自由な暮らしの中に、真の安息はない。
イエス様は、そのようなことも考慮して「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」と問われたのであろう。
安息日とは、人が神のみ前で心も体も魂も、みな安息を得るための日である。
当然、休むことも必要だが、心や体を癒すことも大切である。
神に愛されていることを知り、祝福されていることを感謝し、平安のうちに過ごしたいものである。