ルカ5章32~39節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ 5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
5:36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
5:37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
5:38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
5:39 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

断食は、悔い改めや悲嘆を表現する場合に行われていたようである。
しかし、イエス様は、「花婿が一緒にいる間は、断食する必要はないが、花婿が奪い取られる時には断食することになるだろう」と述べられ、この後、ご自分が捕らえられ、弟子たちがその時、悲嘆にくれるであろうことを予告しておられるのである。
つまり、断食するのは、悔い改めや悲嘆に伴って自然に行われるもので、強制されたり、悔い改めや悲嘆なきまま、形だけの断食になんの意味もないことを悟らせようとしておられるのではないだろうか。
古いしきたり、古い言い伝えによる慣習など、時間と共に、その本来の趣旨が見失われていく場合が多いが、本質を見失わなければ、新しい状況に至った時にも柔軟に対応できるのであろう。
旧約の時代には、真のメシアは到来の予告はあったが現れず、新約の時代になって、キリストとして現された。
新しい時代になっても、本質を見失うことなく、新しい応答に仕方をもってキリストを受け入れていきたいものである。