申命記31章30節~32章44節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 31:30 モーセは、イスラエルの全会衆にこの歌の言葉を余すところなく語り聞かせた。
32:1 天よ、耳を傾けよ、わたしは語ろう。地よ、聞け、わたしの語る言葉を。
32:2 わたしの教えは雨のように降り注ぎわたしの言葉は露のように滴る。若草の上に降る小雨のように青草の上に降り注ぐ夕立のように。
32:3 わたしは主の御名を唱える。御力をわたしたちの神に帰せよ。
32:4 主は岩、その御業は完全でその道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく正しくてまっすぐな方。
32:5 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れその傷ゆえに、もはや神の子らではない。
32:6 愚かで知恵のない民よこれが主に向かって報いることか。彼は造り主なる父あなたを造り、堅く立てられた方。
32:7 遠い昔の日々を思い起こし代々の年を顧みよ。あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう。
32:8 いと高き神が国々に嗣業の土地を分け人の子らを割りふられたとき神の子らの数に従い国々の境を設けられた。
32:9 主に割り当てられたのはその民ヤコブが主に定められた嗣業。
32:10 主は荒れ野で彼を見いだし獣のほえる不毛の地でこれを見つけこれを囲い、いたわり御自分のひとみのように守られた。
32:11 鷲が巣を揺り動かし雛の上を飛びかけり羽を広げて捕らえ翼に乗せて運ぶように
32:12 ただ主のみ、その民を導き外国の神は彼と共にいなかった。
32:13 主はこれを丘陵の地に導き上り野の作物で養い岩から野蜜を硬い岩から油を得させられた。
32:14 彼らは、牛の凝乳、羊の乳雄羊の脂身バシャンの雄牛と雄山羊極上の小麦を与えられ深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ。
32:15 エシュルンはしかし、肥えると足でけった。お前は肥え太ると、かたくなになり造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。
32:16 彼らは他の神々に心を寄せ主にねたみを起こさせいとうべきことを行って、主を怒らせた。
32:17 彼らは神ならぬ悪霊に犠牲をささげ新しく現れ、先祖も知らなかった無縁の神々に犠牲をささげた。
32:18 お前は自分を産み出した岩を思わず産みの苦しみをされた神を忘れた。
32:19 主はこれを見て御自分の息子、娘への憤りのゆえに彼らを退けて、
32:20 言われた。わたしは、わたしの顔を隠して彼らの行く末を見届けよう。彼らは逆らう世代真実のない子らだ。
32:21 彼らは神ならぬものをもってわたしのねたみを引き起こしむなしいものをもってわたしの怒りを燃えたたせた。それゆえ、わたしは民ならぬ者をもって彼らのねたみを引き起こし愚かな国をもって彼らの怒りを燃えたたせる。
32:22 わが怒りの火は燃え上がり陰府の底にまで及び地とその実りをなめ尽くし山々の基を焼き払う。
32:23 わたしは、彼らに災いを加えわたしの矢を彼らに向かって射尽くすであろう。
32:24 彼らは飢えてやせ衰え熱病と激しい病魔のために弱る。わたしは野獣の牙を地を這うものの猛毒と共に彼らに送る。
32:25 外では剣が命を奪い家には恐れがあって若い男と女、乳飲み子と白髪の者を共に襲う。
32:26 わたしは言ったであろう。「彼らを跡形もなくし人々から彼らの記憶を消してしまおう」と。
32:27 もし、敵が高ぶり、苦しめる者が誤解して「我々の手が勝ちを得たこれを成し遂げたのは主ではない」と言うのをわたしが恐れなかったならば。
32:28 彼らは思慮に欠けた国民彼らには洞察する力がない。
32:29 もし、彼らに知恵があれば、悟ったであろうに。自分の行く末も分かったであろうに。
32:30 もし、岩なる神が彼らを売らず主が渡されなかったならどうして一人で千人を追い二人で万人を破りえたであろうか。
32:31 しかし、彼らの岩は我々の岩に及ばない。我々の敵もそのことは認めている。
32:32 彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木でゴモラの畑で育ったもの。そのぶどうは毒ぶどうその房は苦い。
32:33 そのぶどう酒は、蛇の毒コブラの猛毒。
32:34 これは、わたしのもとに蓄えてありわたしの倉に封じ込めてあるではないか。
32:35 わたしが報復し、報いをする彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る。
32:36 主は御自分の民の裁きを行い僕らを力づけられる。主が見られるからである彼らの力がうせ去り未成年者も成人した者もいなくなったのを。
32:37 主は言われる。「どこにいるのか、彼らの神々は。どこにあるのか、彼らが身を寄せる岩は。
32:38 彼らはいけにえの脂肪を食らい注がれた酒を飲んだではないか。さあ、その神々に助けてもらえお前たちの避け所となってもらえ。
32:39 しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。
32:40 わたしは手を天に上げて誓う。『わたしの永遠の命にかけて
32:41 きらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき/わたしは苦しめる者に報復しわたしを憎む者に報いる。
32:42 わたしの矢を血に酔わせわたしの剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らえられた者の血を飲ませ髪を伸ばした敵の首領の肉を食らわせる。』」
32:43 国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。主はその僕らの血に報復し苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる。
32:44 モーセは、ヌンの子ホシェアと共に来て、この歌の言葉をすべて民に語り聞かせた。

主なる神様がモーセを通して与えられた歌は、様々な警告や忠告、教訓を含んだものとなっており、子孫が神を離れ、神を忘れてしまうことがないように、口ずさみやすいように歌の形で語られたものであろう。
そこには、イスラエルの民に対する熱情が感じられるし、裁くところでは徹底して裁き、それでいて、滅ぼしたくないために忍耐を持ってイスラエルの回心することを待とうとする姿勢もうかがえる。
神様はそれほどに民を愛しているのだ。
私たちは、そのような愛を受けている。
しかし、キリストの十字架により、私たちのうけるはずの裁きは徹底して完了している。
なんとも幸いな約束なのだ。
だからこそ「あなたこそ主、あなたのほかに神はいない」と言えるのだ。
永遠に真実なお方が誓われた事だから、私たちは安心して信頼できるのである。