申命記1章19~46節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記 1:19 我々は神、主が命じられたとおり、ホレブをたち、あなたたちが見たあの広くて恐ろしい荒れ野を通り、アモリ人の山地に至る道を、カデシュ・バルネアまで来た。
1:20 わたしが、「あなたたちは、我々の神、主が与えられたアモリ人の山地まで来た。
1:21 見よ、あなたの神、主はこの土地をあなたに与えられた。あなたの先祖の神、主が仰せになったとおり、上って行って取りなさい。恐れてはならない。おののいてはならない」と言うと、
1:22 あなたたちはそろってわたしのもとに来て、「まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう」と言った。
1:23 それは名案だと思われたので、わたしは各部族から一人ずつ、合わせて十二人を選び出した。
1:24 彼らは出発し、山地に上り、エシュコルの谷に着きそこを偵察し、
1:25 その土地の果実を取って持ち帰り、「我々の神、主が与えてくださる土地は良い土地です」と報告した。
1:26 しかし、あなたたちは上って行こうとはせず、あなたたちの神、主の命令に逆らって、
1:27 天幕にとどまって不平を言い合った。「主は我々を憎んで、エジプトの国から導き出し、アモリ人の手に渡し、我々を滅ぼそうとしておられるのだ。
1:28 どうして、そんな所に行かねばならないのだ。我々の仲間も、そこの住民は我々よりも強くて背が高く、町々は大きく、城壁は天に届くほどで、しかもアナク人の子孫さえも見たと言って、我々の心を挫いたではないか。」
1:29 わたしはあなたたちに言った。「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。
1:30 あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる。
1:31 また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」
1:32 こう言っても、あなたたちの神、主をあなたたちは信じなかったが、
1:33 この方こそ、あなたたちの先頭に道を進み、あなたたちのために宿営の場所を探し、夜は火、昼は雲によって行く手を示された方である。
1:34 主はあなたたちの不平の声を聞いて憤り、誓って言われた。
1:35 「この悪い世代の人々のうちで、わたしが与えると先祖に誓った良い土地を見る者はない。
1:36 ただし、エフネの子カレブは例外である。彼だけはそれを見るであろう。わたしは、彼が足を踏み入れた土地を彼に与え、その子孫のものとする。彼は主に従いとおしたからである。」
1:37 主は、あなたたちのゆえにわたしに対しても激しく憤って言われた。「あなたもそこに入ることはできない。
1:38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアだけはそこに入ることができる。彼を力づけなさい。イスラエルに嗣業の土地を継がせるのは彼である。
1:39 あなたたちが略奪されてしまうと言っている乳飲み子や、まだ善悪をわきまえていない子供たちは、そこに入ることができる。彼らにわたしはその土地を与える。彼らがそれを取るであろう。
1:40 あなたたちは向きを変え、葦の海の道を通って荒れ野に向けて出発しなさい。」
1:41 あなたたちは、わたしに答えて、「我々は主に対して罪を犯しました。我々は攻め上って、我々の神、主が命じられたように戦います」と言い、めいめい武器を携え、安易に考えて山地へ上って行こうとしたが、
1:42 主はわたしに言われた。「彼らに言いなさい。攻め上って戦ってはならない。わたしはあなたたちのうちにいない。敵に撃ち破られてはならない。」
1:43 わたしはそう伝えたが、あなたたちは耳を貸さず、主の命令に背き、傲慢にも山地へ上って行った。
1:44 山地に住むアモリ人たちはあなたたちを迎え撃ち、蜂が襲うようにホルマまで追撃し、セイルであなたたちを撃ち破った。
1:45 あなたたちは戻って来て、主の前で泣いたが、主はあなたたちの声に耳を傾けず、聞こうとされなかった。
1:46 あなたたちは、長い間、すなわちあなたたちが滞在した日数だけカデシュに滞在した。

カナンの地へ入るため、モーセはかつて偵察を送り込み、カナンの地の様子をうかがったことがあった。
その時のことは、民数記13章に記されている。
この時、カナンの原住民たちが体も大きく、力も強そうな民ばかりであったことに恐れおののき、カナンへの侵攻を躊躇する者が続出したが、カレブとヨシュアだけは主が約束された地へ侵攻すべきだと主張しており、結局、この時のことがずっと尾を引いてしまい、この時代に生きていた人たちで実際に約束の地に入ることができたのは、この二人だけであった。
そしてモーセもまた現実の課題の前に恐れやつぶやきを繰り返し、彼もまた、約束の地カナンへ足を踏み入れることができなかったのである。

私たちも現実の世界の中で様々な恐れやつぶやきなどを積み重ね、生きていくだけでも多くの困難を感じてしまうものである。
しかし、主なる神様は私たちに命を与え、愛し、与え、導き、祝福しようと願っておられる。
私たちがどこまでその主なる神の恵みを信頼し続けて行くことができるか、それはとても重要なことである。
どんなことがあろうと、最後まであきらめずに信じ続けていたいし、主なる神様は、私たちにそれを期待しておられるのであろう。

ヘブル3:7 だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
3:8 荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。
3:9 -10荒れ野であなたたちの先祖はわたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』
3:11 そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』と。」
3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――
3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――
3:15 それについては、次のように言われています。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。」

信仰の生涯とは、今日という日を、一日一日、主のみ言葉に従って生きる、その繰り返しと積み重ねである。