1ヨハネ5章6~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1ヨハネ5:6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、"霊"はこのことを証しする方です。"霊"は真理だからです。

5:7 証しするのは三者で、

5:8 "霊"と水と血です。この三者は一致しています。

5:9 わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。

5:10 神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。

5:11 その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。

5:12 御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。

イエス様が神の子、救い主であられるということは、水と血によって証されている。
一つは洗礼、もう一つは十字架の出来事と言えるだろう。
イエス様が神の御子であられるという事実は、イエス様が洗礼を受けらえた場面でも証されている。

マタイ3:16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

そして、十字架の出来事では、イエス様がすべての人を救うために、自らの命を犠牲にされたことで、救いを実現したことが示されている。

マルコ10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

そして、イエス様が私の救い主であると信じて洗礼を受ける者は、イエス様と結び合わされ、イエス様の犠牲が私のものとなり、イエス様の勝ち取られた永遠の命も私のものとなるのである。
これが神のなさった証であり、イエス様のご生涯を通して明らかにされた救いの約束なのである。
私たちは、この神の証を信じることによって、神と結び合わされていることを幸いに思う。