1テモテ3:14 わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。
3:15 行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。
3:16 信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。
信心という言葉は、解釈の仕方によっては、何か、奉仕、献金、祈りなどといった宗教的な行動をどれだけ熱心に行っているかと言った尺度のように捉えられる事があるかもしれない。
けれど、ここで語られている通り、信心の秘められた真理は、全てキリストに関することであり、キリストの生涯をたどっていることに他ならない。
つまり、信心とは、文字通り、イエス・キリストを信じ、ひたすら頼ること、それに尽きるのではないだろうか。
キリストは人として世に現われ、十字架のみ業を通して神の義を成し遂げられ、天使たちに見られ、異邦の民にも宣べ伝えられ、世界中で信じられ、そして、栄光のうちに復活され、昇天された。そのキリストの生涯を通して現された神の救いの御業こそが、我々が信じて頼るべき唯一のことなのだろう。
我々人間が何をしたか、何をするべきかはそれほど重要ではない。
神が何をなされたか、それを通して神が何を私たちに与えようとされたのかを知ること、そして信じること、それが全てである。