1テモテ3:8 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、
3:9 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。
3:10 この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。
3:11 婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。
3:12 奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。
3:13 というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。
1~7節では、おそらく牧師のような指導者について述べられたもので、これに続く8~13節では、奉仕者たち、すなわちそれ以外の働きを担う人たちについての記述であり、現代の教会で言えば、執事であったり、役員であったり、様々な教会の奉仕に携わる人と言えるだおう。もっとも、全ての信徒が何がしかの奉仕に携わるべきと考えるなら、信徒全体にあてはまるものとも言えるが、健康や様々な事情のため、具体的に奉仕ができない方もおられるので、信徒の中で奉仕のできる人と考えるべきである。
1~7節との主な違いは、指導者として教育できるかどうかくらいであり、内容的にはほとんど変わらない。
特に目をひく表現としては「品位」という言葉が上げられる。
上品であるかどうかといった「品位」は、なにか絶対的な基準があるわけではなく、人と人との関わりの中で、相対的に生み出されていくものであって、何をもって品があると言えるかについては、具体的な要素としては難しいものである。
かろうじて、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人とか、中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実である、といった事柄が述べられていることから、そういった点に注意しながら、人に接していくしかなかろう。
いずれにしても、品位とは、他人から認められるものであって、自分で決められるものではない。
だから、可能な限り、他人との交わりの中で、相手の言葉に耳を傾け、相手が何を望んでいるのかに目を留めながら、できる限り、隣人を愛し、助け、慰め、励ましていく、それにつきるのだろうと思う。
押し付けの善意ではなく、本当に望まれることが何か、それに応えていくことのできる人間になりたいものである。