1コリント15章29~34節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1コリント15:29 そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。
15:30 また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。
15:31 兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。
15:32 単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。
15:33 思い違いをしてはいけない。「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」のです。
15:34 正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。

もし、死者の復活がないなら、人の命はこの世でおしまい、生きている間だけの、まさに「儚い」ものでしかない。
しかし、現実の中に私たちは生きている。夢でも幻想でもなく現実である。
その現実に生きる私たちの存在が、やがて消えてなくなるような空しいものでしかないのなら、今生きていることの意味が見えなくなってしまうのである。
しかしパウロは言う。死者の復活はある。死後の世界においても人は存在する。だからこそ、生きることに意味がある、と。
刹那的に生きても、そのような人生は空しい。
真に有意義で意味のある人生を送りたい。
そのために聖書の約束は有益である。