1コリント10章1~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1コリント10:1 兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、
10:2 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、
10:3 皆、同じ霊的な食物を食べ、
10:4 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
10:5 しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。
10:6 これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。
10:7 彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。
10:8 彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。
10:9 また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。
10:10 彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。
10:11 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

旧約聖書に記されている出エジプトや、その後の荒野でのイスラエルの民の行動を見ると、神の救いを経験した民と、それでもなお、偶像に依り頼んで生きようとする様子が描かれている。
出エジプトにおいても、モーセがシナイ山で神の律法を受けるために山に登っているわずかの間にも、アロンらの指示し従って金の子牛を作ったりして、その金の子牛がイスラエルを解放し、導く神であると主張したりしていた。
いくら金で作られているとはいえ、人間の手で作り出した物に過ぎない。
人間が作り出した物を神として崇め、これに頼るとは、人間とは、かくも愚かな存在なのだということであろう。
しかし、偶像(すなわちアイドル)とは、必ずしも刻んだ像だけを指すものではなく、人間が作り出し、これに寄り頼む全てのものが偶像となりうる。
ある人にとっては、お金であったり、地位、名誉、そういったものも偶像となりうる。
これさえあれば自分は安心して居られる、これが無ければ自分は生きていけない、そのような類のものはみな偶像である。
そんな物が、あなたを救ってくれるのか、そんな形のないモノが、あなたのために命を捨ててまで愛してくれるのか。
一体キリスト以外の誰が、あなたを滅びの穴から救い出し、永遠に滅びることの無い命を与える約束を下さるのか。
偶像は、人間が勝手に作り出し、勝手に心酔しているだけのモノに過ぎない。
私たちが本来、寄り頼むべきお方、それが私たちを創り、愛し、お救い下さるキリストの神なのである。