1コリント2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
2:7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
2:10 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
2:11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
2:13 そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。
2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。
2:15 霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
2:16 「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。
大人の対応ができる人にあこがれる。
ちょっと嫌なことを言われても、すぐに怒ったりせず、逆に相手を憐れむ心で応じたり、ユーモアを交えて場を和ませたり、そんな心配りのできる心の強い人にあこがれる。
どこからそういう知恵を得るのだろうと思う。
きっと、人として、自分自身がしっかり確立されているからなのだろう。
そのためには、一切、満ち足りないということが無く、存在の全てを肯定され、愛され、守られ、歩んで来なければ、そういう人にはなれないと思う。
けれど、そんな境遇に育ってきたという人が、どれほどいるだろうか。
むしろその反対に歩んできたという人の多いのかもしれない。
しかし、このような祝福された境遇に育ってこなかったとしても、イエス様の愛を受けるなら、それと同じ、いやそれ以上の祝福を受けることができると思う。
そしてそれは、霊によって神が明らかに示してくれるものであろう。
自分は今まで愛されてこなかったと思っている人も、イエス様の愛がどれほど大きくて深いものであるか、聖書に記されている言葉を通して、私たちは知るようになる。そして、これからもずっとずっと永遠に変わらない愛で愛されていると教えられる。
目に見えない世界のことでもあるため、なかなか理解しがたい面があるかもしれないけれども、神の霊がそれを教えてくれる。
成熟した人になりたい。
そのためには、神の霊が示すこと、イエス様の豊かな愛について、いつも学んでいきたいものである。