哀歌3章1~33節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

哀歌3:1 わたしは主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者。
3:2 闇の中に追い立てられ、光なく歩く。
3:3 そのわたしを、御手がさまざまに責め続ける。
3:4 わたしの皮膚を打ち、肉を打ち骨をことごとく砕く。
3:5 陣を敷き、包囲してわたしを疲労と欠乏に陥れ
3:6 大昔の死者らと共にわたしを闇の奥に住まわせる。
3:7 柵を巡らして逃げ道をふさぎ重い鎖でわたしを縛りつける。
3:8 助けを求めて叫びをあげてもわたしの訴えはだれにも届かない。
3:9 切り石を積んで行く手をふさぎ道を曲げてわたしを迷わす。
3:10 熊のようにわたしを待ち伏せ獅子のようにひそみ
3:11 逃げ惑うわたしを引き裂いて捨てる。
3:12 弓に矢をつがえて引き絞りわたしにねらいを定める。
3:13 箙の矢を次々と放ちわたしの腎臓を射抜く。
3:14 民は皆、わたしを嘲笑い絶え間なく嘲りの歌を浴びせる。
3:15 わたしを苦悩に飽かせ、苦汁を飲ませられる。
3:16 砂利をかませてわたしの歯を砕き塵の中にわたしを打ち倒す。
3:17 わたしの魂は平和を失い幸福を忘れた。
3:18 わたしは言う「わたしの生きる力は絶えたただ主を待ち望もう」と。
3:19 苦汁と欠乏の中で貧しくさすらったときのことを
3:20 決して忘れず、覚えているからこそわたしの魂は沈み込んでいても
3:21 再び心を励まし、なお待ち望む。
3:22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
3:23 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
3:24 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言いわたしは主を待ち望む。
3:25 主に望みをおき尋ね求める魂に主は幸いをお与えになる。
3:26 主の救いを黙して待てば、幸いを得る。
3:27 若いときに軛を負った人は、幸いを得る。
3:28 軛を負わされたなら黙して、独り座っているがよい。
3:29 塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。
3:30 打つ者に頬を向けよ十分に懲らしめを味わえ。
3:31 主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。
3:32 主の慈しみは深く懲らしめても、また憐れんでくださる。
3:33 人の子らを苦しめ悩ますことがあってもそれが御心なのではない。

人は絶望の淵に立たされた時、この哀歌のように神への祈りの言葉を述べる。
そして、神に祈り求めているということは、まだそこに望みを置いているからである。
しかし、唯一、この望みさえ絶たれた真の絶望を味わわれた方がいる。
それがイエス様である。
イエス様は、私たちの身代わりとなって、一切の望みのない真の絶望を引き受けて下さった。
それ故に、もはや出口の見えない、希望の光の全く見えない絶望の淵から私たちを解放してくださるのである。
イエス様は私たちの身代わりとなって、神に見捨てられ、呪われたものとなって下さって、全ての裁きを引き受け、十字架で死なれたのである。
それ故に、もはや私たちに滅びはない。
どんな絶望の淵に立たされようとも、希望がある。
私たちは、そのような救いの約束を成し遂げて下さった主を待ち望む。
苦難の多い日にも、前が見えず、闇に包まれたように思える日も、救い主なるイエス様を待ち望む。