1ペテロ2章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1ペテロ2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、
2:8 また、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
2:10 あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。

悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口・・・みな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように・・・
ヨハネ3章の箇所で、ニコデモに対してイエス様が語られたことを思う時、もう一度生まれ変わって人生をやり直すといったようなことができるのだろうかとも思ってしまう。
けれど、それは肉によっては不可能なことだが、霊によって可能である、それがイエス様のお答えであり、霊による生まれ変わりとは、つまり、イエス様の救いの約束に信頼して生きるほかないというこおであろう。
人間の力に頼ったところで、たかがしれている。
しかし、キリストに頼って生きて行くなら、この世の何物によっても得がたい祝福が約束される。
そう信じて、この救いの約束に信頼して生きて行く、つまりそれが、キリストというかなめ石の上に建てられていくということなのだろう。
この世的なことに囚われすぎていれば、人生をやり直すということは無理でも、霊的な意味でやり直すということはいつでもできる。
なぜなら、主イエス様の十字架による罪の赦しは、いつでも信じる者に無償で開かれているからである。
見栄やかたくなな心を捨て去っていけば、そこから新しい人生がすぐにでも始まる。
神の憐れみを受けた者として、幸いな人生を歩みだして行きたい。