詩篇30篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇30:1 賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。
30:2 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなくわたしを引き上げてくださいました。
30:3 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしをあなたは癒してくださいました。
30:4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ墓穴に下ることを免れさせわたしに命を得させてくださいました。
30:5 主の慈しみに生きる人々よ主に賛美の歌をうたい聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
30:6 ひととき、お怒りになっても命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
30:7 平穏なときには、申しました「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。
30:8 主よ、あなたが御旨によって砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されるとわたしはたちまち恐怖に陥りました。
30:9 主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。
30:10 わたしが死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげあなたのまことを告げ知らせるでしょうか。
30:11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
30:12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。
30:13 わたしの魂があなたをほめ歌い沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よとこしえにあなたに感謝をささげます。

この詩篇のタイトルには「賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。」と記されている。
神殿を奉献する時に歌われたものであろうか。
しかし、内容的には、この詩篇の作者が敵に囲まれながらも、神の救いの御手により助け出され、墓穴に陥ることを免れ、砦の山に再び立たせてくださったというような勝利もしくは復活のイメージが語られている。
つまり、いかにも個人的な命の回復と勝利を称える歌といった感じで、神殿奉献という言葉に照らし合わせて見るならば、この作者自身が神殿、すなわち、神の住まわれる御住まいなのだということなのではないだろうか。

エフェソ2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
2:19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、
2:20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、
2:21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
2:22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

教会とは、建物や、ましてや牧師などの特定の働き人を指すものではない。
イエス・キリストを救い主と信じ、救いの喜びに生きる人々の群れである。
だから、失われていた一人の魂が主にあって見出され、救われて真の命を回復する時、それが真の意味での神殿奉献なのである。

今年、私たちの教会でも四人の方の洗礼式が行われたが、そのような出来事を称えるのにふさわしい詩篇と言えるだろう。