2コリント3:1 わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。
3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。
3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
3:4 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。
3:5 もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。
3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
今年から神戸ルーテル神学校の理事になった。神学校というのは、牧師を育成するための学校である。
もちろん自分も卒業生の一人であり、この学校を安定的に運営していくことが重要であるということは誰よりもよくわかっているつもり。
先日、その神学校の支援のために、どういう風にアピールしていけばいいかということを話していた時、同じ卒業生のある牧師先生がご自分の働いておられる教会の信徒さんに「自分は神学校の商品みたいなもの。良いと思えば支援していただければ」といった感じでアピールされたということを話しておられた。
素直に「すごいなあ」と思った。
それだけその教会が恵まれているということであり、素直に喜べるアピールの仕方だなあと思う。
ただ、私にはちょっとできないかなと思う。笑
けど、教会が恵まれているなら、それで十分だし、それが一番だと思う。
「牧師先生のおかげで教会が明るくなりました」とか言われると、確かにちょと嬉しい気もする。
けれど、教会は誰のおかげで成り立っているのかと言えば、ただただイエス・キリストの十字架の贖いと復活の御業による。
そのことをいつも覚えているなら、自然と教会は恵まれていく。と私は思う。
今、私たちの教会は、そこに集う信徒の方々に笑顔があふれている。
それこそがなによりの推薦状であるし、キリストの恵みの故に祝福されている教会の姿であると思う。