マタイ17章22~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ17:22 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
17:23 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

教会員の方で、会社を経営しておられる方がいる。
その方は、一円たりとも、税金を納めないようにする考えはないと言う。
社会の中でインフラや利便性を享受しているのなら、当然のことであると。
確かにその通りだと思う。
そして、税金を納めた額に応じて内部留保できる額も決まってくるから、会社の財務体質を強めるためには、税金をきちんと納めていくことが肝心なのだという。
短期的なもうけだけを追い求めていく姿勢とは異なり、長い目で見て勝利していく秘訣のように思える。
神の国はこの世の国とは相容れないと主張し、距離を置くべきという考えもある。
しかし、我々は神の国の一員と言えど、現にこの世に生きている。
この世に福音を伝えていくために、この世の仕組みを無視していくわけにはいかないのである。
もちろん、妥協するのではない。
決められたことはきちんと守りつつ、それでいて、言うべきことは言い、やるべきことはやる、そういう姿勢が求められているのだろう。
税金もきちんと納める人でなければ、社会的な信用を失うし、誰がそういう人の言うことに耳を傾けるだろう。
さりとて、ありあまるほどのお金があるわけではない。(魚釣りでもするか。笑)
この世の人々につまずきを与えないよう、社会人としても自立できる人でありたいものである。