マタイ13章18~23節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ13:18 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
13:19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
13:20 石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
13:21 自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
13:22 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
13:23 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

教会の敷地の裏側に、わずかばかりの土地がある。ふさいでおくのももったいないので、幾つかの野菜の苗を植えてある。時々、忘れた頃に、ほんの少しの野菜を収穫するのだが、一人ぐらしをしておられるお隣さんの畑は、それはそれは見事にいろんな野菜が実っている。
この違いは、明らかに手入れの差なのだが、野菜の手入れもさることながら、土つくりからして違うのだ。
かたや、土に対して何もしないでいきなり苗を植えて放置、しかし、お隣さんは、こまめに堆肥を入れたり、石灰をまいたり、常に土の状態が野菜
生育にとって適切となるように丁寧に管理されている。
良い土地というものは、最初から良い土地というのがあるわけではなく、草を刈り、きちんと耕し、肥料を施し、丁寧に管理して、はじめて作物を実らせるのに良い土地となるのだ。
私たちも、自分の生まれ育った家庭環境が悪いから、こんな風に育ってしまったなどと言いがちであるが、自分のなすべき努め、責任もあったのではないかと思う。
神様のみ言葉を聞いて悟る、ということは、まさにそういうことに似ているように思う。
自分の何が問題なのか、誠実に取り組み、間違っているところは真摯に悔い改め、神の赦しの言葉を信仰を持って受け止めていく、そんな心の作業を行うことができる人こそ、良い土地と言えるのではないだろうか。
何もしないで、放置したままで良い作物が実ることがないように、良い実を実らせるために必要な心の手入れも落ち度無く進めていかかねれば、と思う。