ヘブル2:5 神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。
2:6 ある個所で、次のようにはっきり証しされています。「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。
2:7 あなたは彼を天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、栄光と栄誉の冠を授け、
2:8 すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。
2:9 ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。
この箇所は、イエス様が神より劣るもの、すなわち、人の姿を取られてこの世に下られ、その人としての生涯を通して神の栄光を現されたことを背景に、詩篇8篇の言葉を引用して語られていると言える。
しかし、ここで注目しておきたいことは、詩篇では「神より劣る」と記されているところが「天使たちよりも劣る」となっているところである。
もともと、旧約聖書はヘブル語で書かれていたのであるが、時代の流れの中で、離散の民として、世界の各地に散らばっていたヘブル語を話せないイスラエル人たちにも聖書が読めるよう、ギリシャ語で書かれた旧約聖書(七十人訳と呼ばれるもの)が存在しており、それには、この詩篇の箇所が「天使たちより」という風に書かれていることから、このような引用がなされているのであろう。
ヘブライ人への手紙が、ヘブライ人のために書かれたものである以上、イスラエル人が読者であると考えられるのだが、この時も、かなり多くのイスラエル人たちがヘブル語が分からず、ギリシャ語でしか聖書を読めない人たちがいたことを物語っていると言える。
故郷を追われ、世界各地に離散の民として散らばって生活しているイスラエルの人たちにとって、国の復興は、切なる願いであったであろうし、かちてダビデやソロモンの時代に繁栄したイスラエル王国の復興を願うものが大勢いたであろう。
しかし、イエス様の出現を「神より劣るもの」と述べず、あえて「天使たちより劣るもの」と述べることで、イエス様が神に次ぐような立派なお方として来られるというより、むしろ、真の人間となられたことで、その十字架と復活の御業によって、神の御栄光を現されたということに注目しようとしているのではないだろうか。
イエス様が神に次ぐ天使の長であるかのような捉えかたではなく、全く普通の人間として世に来られ、私たちと何ら変わりない一人の人間として、あの十字架の苦しみを受けられたということ、そして、私たちと同じように死を経験されたお方として、その死を打ち破られたことで、神の栄光がはっきりと現されているのであるということを覚えたいのである。
だから、私たちは、イエス様が力強い奇跡の数々を行われたことよりも、私たちと同じように悩み、苦しみ、痛まれたことを覚えたい。
そして、イエス様がお言葉一つで私と何の関係もない人たちをよみがえらせたことよりも、私たちをよみがえらせて下さるために、ご自分の命を犠牲に支払われたことを覚えたいのである。