フィリピ2:25 ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、
2:26 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。
2:27 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。
2:28 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。
2:29 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。
2:30 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。
ある牧師先生の奥様が病気で召された時、その先生は「ずっと戦友のように働いてきたが、病気になってからは、ようやく夫と妻の関係に戻ることができた」ようなことを語っておられた。
伝道のため、牧会のため、夫婦二人で全てを捧げて、教会の働きのために用いられてきたのであろう。
けれども、ほんのわずかな日々であっても、一人の夫と妻の関係で過ごせたことは、召された奥様にとっては、幸いなことであっただろうと思う。
そして、一人の人間として、会いたい人に会い、語りたい人と語り合い、そして、先に召された方々と共に、主の御許に旅立っていかれた。
願わくは、病気であるとかいうことなく、普段の暮らしの中でも、そうのように一人の人として接することができたら、どんなに幸いであろうかと思う。
私たちに残された命の日々は、多少の長いか短いの違いはあっても、誰もが限られた人生の日々であることには変わりない。
日々の生活を大事にしたいと思わされる。