詩篇11篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇11:1 指揮者によって。ダビデの詩。主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか「鳥のように山へ逃れよ。
11:2 見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。
11:3 世の秩序が覆っているのに主に従う人に何ができようか」と。
11:4 主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡しそのまぶたは人の子らを調べる。
11:5 主は、主に従う人と逆らう者を調べ不法を愛する者を憎み
11:6 逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り燃える硫黄をその杯に注がれる。
11:7 主は正しくいまし、恵みの業を愛し御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。

私は主なる神様を信じているのに、何故、周囲からしいたげられ、社会から取り残されたように感じてしまうのか。
そして、世の成功者らから「主に従う人に、何ができようか」とののしられ、本当は神などいないのではないかとつぶやきたくなることがあるかもしれない。
けれど、主なる神様は、確かに生きておられ、人の子らを調べられると言う。
つまり、どんなにこの世で苦しんでいようとも、主に従い続けているかどうか、あるいは、その求めていることが主の御心に適うことなのかどうか、見定めておられるのであろう。
自分は神様から見放されているのでは?と思う時、そこに、どこか、この世的な成功や、裕福な者への憧れや妬みのよなものが原動力になっているとしたら、それは、主なる神を見ているのではない。
主なる神様は、私たちが何を見ているのか、をご覧になるのだ。
主の御目は、人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる、とあるが、私たちのまぶたが何を見ているか、何を求めているかをご覧になるのである。
真っ直ぐに神を見上げ、神のなさることをよしとする者を、神はよしとされる。
神様に見ていただけるように、神様を見続けていられますように。