詩篇5篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇5:1 指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾けつぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出てあなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいてあなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏しあなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導きまっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定めそのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝いとこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られあなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

昨夜、聖書の学び会があり、詩篇のほかの箇所を学ぶ機会があった。
その中で、詩篇の作者は、決して、神を信じないものを呪うようなことをするのではなく、ただ、神を信じる者に対する答えを求めるために、神を信じない者に対する相応の裁きがあることを述べていることについて学んだ。
ここでも、詩篇5篇の作者も、神に敵対する者に対して、呪うような仕方で祈っているのではなく、あくまで、神に従う者に目に見える形での祝福を求めているだけなのだろうと思う。
もっとも、神を信じようとしない者に対する不適切な心が全くないわけではない。
人間なのだから、あって当然である。
それが2節の「主よ、わたしの言葉に耳を傾けつぶやきを聞き分けてください。」との言葉に表れているのでだろう。
私の祈りの言葉の中にも、よこしまなものと、御心にかなうものとが常に混在している。
それを私の側では綺麗に分離できないから、全てのことをご存知の神様の側で聞き分けていただくしか仕方がないのだ。
けれど、それで良いのだ。
神様は、私たちが綺麗で完全な祈りを祈るなどとは、最初から想定していないはずである。
ならば、どんな祈りの言葉でも、とにかく神に訴え、言葉にしていくのが良い。
もちろん、他者を呪ったり、妬んだりばかりの祈りだと、全て聞き届けられないのは明らかだから、そんな祈りはむなしいだけ。
神の御心を求めつつ、なおかつ、心にある思いを訴えて生けるような、そんな祈りを捧げていきたいものである。