ルカ14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。
安息日とは、神がこの世界を創造された時、7日目に働きの手を休め、を安息の日として定められたことに由来する。
それは、神の創造の働きを覚えるためにも必要な一日であると言える。
そして、我々人間にとって安息日は、神の御業を覚えるためにもとても重要な日であり、何もしてはいけないのではなくて、私たちの救いのために神がなさる御業を覚えることは、むしろ率先して行うべきなのだろう。
さらに、私たちの救いの事実に目を留めるなら、私たちの救いは、全てが神の憐れみによるものであり、神の一方的な恵みによるものであることを思うとき、そこに、我々人間のどんな行いをも必要としないことを思うとき、安息日を覚えるということは、すなわち、我々の救いの事実が全て神のみ手によるものであることを一層際立たせているものであることを思う。
だから、安息日であろうと、安息日だからこそ、神は働いておられる。
私たちは、その神の御前に真実の安息を得ることができる。