エゼキエル20章1~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル20:1 第七年の五月のことであった。その月の十日に、イスラエルの長老たち数人が、主の御心を問うために来て、わたしの前に座った。
20:2 そのとき、主の言葉がわたしに臨んだ。
20:3 「人の子よ、イスラエルの長老たちに語り、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。お前たちはわたしの意志を問うために来たのか。わたしは生きている。お前たちが尋ねても、わたしは答えない、と主なる神は言われる。
20:4 あなたは彼らを裁くのか。人の子よ。彼らを裁くのなら、彼らの先祖たちの行った忌まわしいことを彼らに告げなさい。
20:5 彼らに言いなさい、と主なる神はこう言われる。わたしがイスラエルを選んだ日に、わたしはヤコブの家の子孫に誓い、エジプトの地で彼らにわたしを知らせたとき、彼らに誓って、わたしはお前たちの神、主であると言った。
20:6 その日、わたしは彼らに誓い、わたしは彼らをエジプトの地から連れ出して、彼らのために探し求めた土地、乳と蜜の流れる地、すべての国々の中で最も美しい土地に導く、と言った。
20:7 わたしはまた、彼らに言った。『おのおの、目の前にある憎むべきものを投げ捨てよ。エジプトの偶像によって自分を汚してはならない。わたしはお前たちの神、主である』と。
20:8 しかし、彼らはわたしに逆らい、わたしに聞き従おうとはしなかった。おのおの、目の前の憎むべきものを投げ捨てず、エジプトの偶像を捨てようとはしなかった。そこで、わたしは言った。『わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、エジプトの地でわたしの怒りを浴びせる』と。
20:9 しかし、わたしはわが名のために、彼らがその中に住んでいる諸国民の目の前では、わが名を汚すことがないようにした。その諸国民の目の前で、わたしはイスラエルをエジプトの地から導き出して、わたしを示したのである。
20:10 わたしは、彼らをエジプトの地から連れ出し、荒れ野に導いた。
20:11 そして、彼らにわたしの掟を与え、わたしの裁きを示した。人がそれを行えば、それによって生きることができる。
20:12 また、わたしは、彼らにわたしの安息日を与えた。これは、わたしと彼らとの間のしるしとなり、わたしが彼らを聖別する主であることを、彼らが知るためであった。
20:13 しかし、イスラエルの家は荒れ野でわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを退け、更に、わたしの安息日を甚だしく汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で、憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを滅ぼし尽くそうとした。
20:14 しかし、わが名のために、わたしがイスラエルを連れ出したときに見ていた諸国民の前で、わが名を汚すことがないようにした。
20:15 ただし、荒れ野で彼らに誓い、わたしが与えた土地、乳と蜜の流れる地、すべての国々の中で最も美しい土地に、彼らを導き入れることはしないと告げた。
20:16 それは、彼らがわたしの裁きを退け、わたしの掟に従って歩まず、わたしの安息日を汚したからだ。彼らの心は、自分たちの偶像にひかれていたのである。
20:17 それでも、わたしの目は彼らを憐れんで、彼らを滅ぼさなかった。彼らを荒れ野で滅ぼし尽くすことはしなかった。
20:18 わたしは、荒れ野で彼らの子供たちに語った。『お前たちの父祖の掟に従って歩んではならない。彼らの裁きを守ってはならない。また、彼らの偶像で自らを汚してはならない。
20:19 わたしはお前たちの神、主である。お前たちは、わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを守り行い、
20:20 わたしの安息日を聖別して、わたしとお前たちとの間のしるしとし、わたしがお前たちの神、主であることを知れ』と。
20:21 しかし、子供たちもわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを守り行わず、わたしの安息日を汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で彼らの上に憤りを注ぎ、怒りを浴びせる、と言った。
20:22 しかし、わたしは手を引き戻し、わが名のために、わたしがイスラエルを連れ出したときに見ていた諸国民の前でわたしの名を汚すことがないようにした。
20:23 ただし、わたしは荒れ野で彼らに誓い、彼らを諸国民の間に散らし、諸国に追いやると告げた。
20:24 なぜなら、彼らがわたしの裁きを行わず、わたしの掟を退け、わたしの安息日を汚し、彼らの父祖の偶像に目をひかれていたからである。
20:25 わたしもまた、良くない掟と、それによって生きることができない裁きを彼らに与えた。
20:26 また、彼らが初子をすべてささげたとき、わたしは彼らの献げ物によって彼らを汚した。それは、わたしが彼らを荒廃させ、わたしが主であることを知らせるためであった。

主の御心を問うためにやってきたイスラエルの長老たちに対し、主なる神様は、預言者エゼキエルを通して、イスラエルの出エジプト以来の歴史から始まって、イスラエルの祖先が、代々、神の御心を損ない、神に背き、神の掟に鮎混ぜう、安息日を汚し、偶像礼拝に引かれていったことを述べている。
しかも、この過ちはイスラエルの歴史において何度も何度も繰り返されてきたことである。
しかし、繰り返されてきたということは、その都度、主なる神様の赦しも繰り返されてきたということでもある。
主なる神様は、イスラエルを根絶やしにされるのではなく、常に、悔い改めて神に立ち返ることを待ち続けてきたのである。
むしろ、そのためにイスラエルは選ばれたと言っても過言ではない。
何度も何度も同じ過ちを繰り返しても、憐れみ深い神は、何度も何度も裏切られても、なお、イスラエルの立ち返ることを待ち続けておられるのである。
ここに、主なる神様の永遠に変わることの無い愛の深さ、確かさを垣間見ることもできる。
そして、その愛の完全な現れが、主イエス様の十字架の御業に他ならない。
イエス様は、神の御子であられるにも関わらず、そのご自分の命を投げ出して、永遠の贖いを成し遂げてくださった。
いつまでも変わることの無い真実な愛であることを示すために。