マタイ16章1~4節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ16:1 ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。
16:2 イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、
16:3 朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。
16:4 よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。

ファリサイ派とサドカイ派の人たちは、イエス様にしるしを見せて欲しいと願っているが、その本心は、信じるためのものではなく、ただイエス様を試し、困らせようとするだけのものであったはずである。
ならば、仮にイエス様が確かなしるしをお見せになったとしても、決して信じようとはしなかっただろう。

時々「神が本当にいるのなら、その証拠を見せてほしい」というようなことを言われる方がいらっしゃるが、きっとそういう方も、仮に確かな証拠を見せたとしても、信じようとしないのかもしれない。

信仰としるしとは、それほど密接に結びついていないのだろう。
むしろ、夕焼けの翌日には晴れて、朝焼けの日は天気が悪くなるというようなことのように、自分にとって有益な情報だけを認めようとしているに過ぎないからなのかもしれない。
人は誰も自分の罪を認めることは嫌なことだろうから。
しかし、その先に赦しの約束があるのだから、決して無益な情報ではないと思うのだが。