イザヤ62章10節~63章6節、ローマ5章6~11節、マタイ26章14~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ62:10 城門を通れ、通れ、民の道を開け。盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え石を取り除け。諸国の民に向かって旗を掲げよ。
62:11 見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い主の働きの実りは御前を進む。
62:12 彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれあなたは尋ね求められる女捨てられることのない都と呼ばれる。
63:1 「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ大いなる救いをもたらすもの。」
63:2 「なぜ、あなたの装いは赤く染まり衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
63:3 「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴びわたしは着物を汚した。」
63:4 わたしが心に定めた報復の日わたしの贖いの年が来たので
63:5 わたしは見回したが、助ける者はなく驚くほど、支える者はいなかった。わたしの救いはわたしの腕によりわたしを支えたのはわたしの憤りだ。
63:6 わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじりわたしの憤りをもって彼らを酔わせ彼らの血を大地に流れさせた。

イエス様は、私たちの救いのために、ご自分の命を投げ出して全ての罪の贖いを成し遂げて下さった。
しかも、ただお一人でそれをなさったのである。
イエス様は孤独であられた。
神に見捨てられた者となってくださった。
しかし、神はそのお方と共におられた。
そのような救いの御業を完成なさったのが、神ご自身だからである。
神が私の救いのために孤独で過酷な十字架の道を歩まれたことを覚えつつ、イエス様を真の救い主としてお迎えする者でありたい。