ゼファニヤ1:12 そのときが来ればわたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し酒のおりの上に凝り固まり、心の中で「主は幸いをも、災いをもくだされない」と言っている者を罰する。
1:13 彼らの財産は略奪され、家は荒れ果てる。彼らは家を建てても、住むことができずぶどう畑を植えてもその酒を飲むことができない。
1:14 主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている。聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。
1:15 その日は憤りの日苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。
1:16 城壁に囲まれた町、城壁の角の高い塔に向かい角笛が鳴り、鬨の声があがる日である。
1:17 わたしは人々を苦しみに遭わせ目が見えない者のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は塵のようにはらわたは糞のようにまき散らされる。
1:18 金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を地上に住むすべての者に臨ませられる。
多くの人たちが震災や原子力発電所の事故などにより、不安と恐怖におののいている。
そんな状況の中、この御言葉はあまりにも厳しい。厳しすぎる。
しかし、主なる神様は、愛も憐れみもないお方なのかといえば、必ずしもそうではない。
聖書には救いの約束がある。
むしろ、ここに記されていることがリアルであればあるほど、救いの約束もまた真実であるということだ。
だから、現実に目をそむけないで、この御言葉に傾聴し、聖書に約束されている救いに心を留めることが大切である。
ローマ8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
8:16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
2コリント4:10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。
4:11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。
4:12 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。
4:13 「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。
4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。
4:15 すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。