2コリント10章12~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

2コリント10:12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。
10:13 わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。
10:14 わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。
10:15 わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、
10:16 あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。
10:17 「誇る者は主を誇れ。」
10:18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。

先日、あるテレビの番組で、若い世代に自殺をする人が増えているということは報じられていた。
番組内では、境界性パーソナリティ障害なるものが紹介され、感情のコントロールが難しいことや人間関係に対する極度の不安感などがクローズアップされていた。
番組では、単に事例が紹介されていただけなので、この問題に関する解決や原因などについては触れられていなかったが、人の少ない田舎よりも、人の多い都会でよく見られるのだそうだ。

都会には、いろんな人がいる。
そして、様々な情報が氾濫している。
そのような社会の中では、それらの人やモノと自分を比較してばかりになってしまうのだろう。
そして、いろんな情報に振り回され、本当に大切なことを見失い、社会から取り残され、置き去りにされてしまっているかのような錯覚に陥ってしまうのかもしれない。

田舎で暮らしていると、テレビやネットから入ってくる情報は、ほとんど自分たちの生活とは関係のない事柄が多く、ある意味、虚構の世界の出来事のように思えてしまう。
浮世離れしてしまっていると言われれば、そうなのかもしれないが、案外、そっちのほうが気楽に生きていられるな気がする。
むしろ、テレビやネットで得られる情報と離れて暮らしていることで、意外にも現実的な目線で日常を生きることができているように思う。

人間が生きていくために必要なことって何だろう。
他人と比較しあったり、競争してばかりいては見えないものが、田舎の暮らしにはあるような気がする。
余計なものは放っておいて、御言葉と共に生きよう。