イザヤ66:1 主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこにわたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。
66:2 これらはすべて、わたしの手が造りこれらはすべて、それゆえに存在すると主は言われる。わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人わたしの言葉におののく人。
「聖である」ということは、単に言動が清らかで、尊いと呼ばれるに値するような立派な行いを行う者のことを言うのではない。
「聖」とは、神の御性質を表す言葉であるから、「聖である」というとき、それは、神のものであるということを言い表していると言える。
だから、聖職者と言えば、清らかで立派な振る舞いをする人というのではなく、単に、神の御言葉を語る務めを担っている人ということを示しているし、聖所と言えば、神が住まわれる場所を言うのだから、それが単なる教会堂などの建物だけを指し示しているのではないことがわかる。
エペソ2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
2:19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、
2:20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、
2:21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
2:22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
神の御住まいとしてふさわしく生きようと願う前に、神が住まわれる場所であることをまず感謝し、それゆえに、御心に適う者とならせていただけるようにと願うものである。