ローマ9:30 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。
9:31 しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
9:33 「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。
10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。
10:3 なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。
10:4 キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。
なぜ義を求めなかった異邦人が義とされ、義の律法を追い求めていたイスラエルが、その律法に達しないのか。
それが神の義によるものでなく、自分の義を求めているからだと語られている。
自分に振り返ってみる。
なぜ不平不満、つぶやき、ねたみなどに満ちているのか。
結局、人からの評価ばかりを気にし、認めてもらいたいからではないか。
神の義によって義とされることを願うならば、何一つ、私のうちに誇れるものなどないはずである。
周りの人の評価を気にするあまり、本来の働きがおろそかになってはいないだろうか。
神の評価は、常に変わらず「わたしはあなたを愛している」と言って下さるのだ。
自分の義を求めるのを止めよう。
そして、ただひたすら神の義によって生きる幸いな人生を歩み続けて行く事ができるように。