マタイ9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
イエス様は、収税人であったマタイをご自分の弟子として召された。
それは、彼が、イスラエルの人々の中にあって、自分の置かれている状況や、自分の罪に対して悩みを抱えていた人であったのだろう。
イエス様がそのような人を召されたのは、同じような苦しみを知る人々への伝道のためであったのかもしれない。
エゼキエルの箇所には、主なる神さまが、難しい外国語を話す民に遣わすのではなく、同じ言葉を語る同胞の民に遣わすということが語られているが、日本語を話し、日本人として救われた者の持つ使命は、自ずと明らかになってくると思う。
ある宣教師は「あなたがたは、世界で最も難しい言葉(日本語)を話せるのだから、何でもできるだろう」と言われたことがある。
確かに、日本語は、日本人にとっても時に難しいこともある。
しかし、私たちは、この国で生まれ、この国で育ち、そして、やがてこの国で死んでいくのだ。
だから、この国の人たちに、真の救いがあることを伝えたい。
伝えねばなるまい。
主イエス様が私と共に食卓におられるのだから。