ルカ9:49 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」
9:50 イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
9:56 そして、一行は別の村に行った。
イエス様につき従っていた弟子たちは、この時点では、まだイエス様がなさろうとしておらえる御業について、十分な理解をもっておらず、どこかで、この世の地上の王国を確立されるようなお方であろうと思っていたのかもしれない。
聖書を読んでいると、他の箇所からも、そのような弟子たちの神の国に対する無理解を知ることができるだろう。
しかし、果たしてこのような無理解は、弟子たちだけに限ったものであろうか。
弟子たちは、未だ、イエス様の十字架と復活の御業を目撃していなかったのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
しかし、私たちはどうであろうか。
聖書の証言を通して、すでにイエス様の身業が明らかにされた後の時代に生きるものである。
もちろん、その場に居合わせなかったことによる不信仰さということもあるのだろうが、それにしても、私たちも弟子たちと同じではないだろうか。
神の国の働きに携わっていると思ってはいても、どこかで焦点がずれていたり、全くこの世的なことを追い求めていたりしてはいないだろうか。
弟子たちの無理解を批判するような資格は、私たちにもないはずである。
イエスは振り向いて二人を戒められた。
イエス様が何を戒められ、何をお求めになっているのか、心の耳を研ぎ澄まして、イエス様に従って歩み続けていきたいものである。