エゼキエル34章7~16節、使徒12章1~11節、マタイ16章13~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル34:7 それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。
34:8 わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。
34:9 それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。
34:10 主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。わたしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。
34:11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
34:12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
34:13 わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
34:14 わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
34:15 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
34:16 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。

本日は、教会暦では使徒ペテロの日となっている。
もともとはガリラヤの漁師であったが、イエス様に召され、使徒として用いられた人物である。
しかし、なぜペテロだったのかということについては、聖書には、ほとんど語られていない。
ただ、主イエス様がお選びになったということだけしか語られていない。
イエス様の救いのメッセージを宣べ伝えるのに、特別ふさわしい能力や資質があったわけでもない。
むしろ、そのようなものを何一つ持っていない人であるからこそ、主が選び、主が用い、主の御業が明らかにされていくと言えるのかもしれない。

世の中に、召されるべくして召される伝道者、牧者というものは、本当はありえないのかもしれない。

伝道者の子供が必ずしも伝道者になるわけでもないし、ならなければならないというものでもない。
ただ、同じ信仰を子供たちが受け継いでいくことは大切なことである。
同じ信仰を受け継ぐ中で、それぞれにふさわしい召しに応えていくことが大切であろう。
必ずしも漁師の子は漁師、牧師の子は牧師となるのではない。
主がお選びになり、一番ふさわしい働きに召して下さる、そう信じて、従って行くのみである。