詩篇101:1 慈しみと裁きをわたしは歌い 主よ、あなたに向かって、ほめ歌います。
101:2 完全な道について解き明かします。いつ、あなたは わたしを訪れてくださるのでしょうか。わたしは家にあって 無垢な心をもって行き来します。
101:3 卑しいことを目の前に置かず 背く者の行いを憎み まつわりつくことを許さず
101:4 曲がった心を退け 悪を知ることはありません。
101:5 隠れて友をそしる者を滅ぼし 傲慢な目、驕る心を持つ者を許しません。
101:6 わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め わたしと共に座に着かせ 完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。
101:7 わたしの家においては 人を欺く者を座に着かせず 偽って語る者をわたしの目の前に立たせません。
101:8 朝ごとに、わたしはこの地の逆らう者を滅ぼし 悪を行う者をことごとく、主の都から断ちます。
主への賛美について、この詩篇の作者は、慈しみと裁きという、二つの相反する要素を挙げて歌っている。
確かに主は慈しみ深いお方であり、こんなちっぽけな私を愛し罪を赦し、お救い下さった。
しかし、そこに、いとも尊い御子キリストの贖いの代価が支払われたほどに、罪に対する徹底的な裁きが行われたことを決して忘れてはならない。
主なる神様は、あらゆる罪を見逃されるのではない。
あらゆる罪を憎み、裁き、十字架の上で尊きお方主イエス様が死なれた故に、完全なる赦しが成し遂げられていることを忘れてはならない。
そのことを知ったとき、イエス・キリストの十字架の贖いによって救われた者は、もはや、主なる神を悲しませるような罪を犯すべきではない。
完全に罪と関係ない生活ができなくても、まずはそれを望むこと、主イエス・キリストの十字架をいつでも仰ぎながら、緊張感の中で生きていくことが求められるのであろ。