ルカ23:50 さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、
23:51 同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。
23:52 この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、
23:53 遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。
23:54 その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。
23:55 イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、
23:56 家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
イエス様の遺体を引き受けた人たちは、悲しみと失意の中、それでも最後までイエス様を見捨てることなく、最後まで慕い続け、イエス様の遺体を丁重に取り扱い、墓に収めたのである。
しかし、それは、彼らがそれほどイエス様を愛していたというより、深くイエス様に愛されていた故であろうと思う。
イエス様の愛は深く、たとえ十字架で死なれたとしても、その愛は生き続けている。
そして、その愛により、私たちもまた、愛に生きることができるようになるのだろう。
1ヨハネ4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
私も愛のある人になりたい。
そのためには、まず、イエス様のことを知り、イエス様に深く愛されていることをいつも覚えることができるようにしたい。
十字架の上で、自らの命を捧げるほどに私たちを愛してくださったイエス様の深い愛を覚え、恐れることなく、愛する者として生きていけますように。