ルカ23章44~49節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
23:47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。
23:48 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。
23:49 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

イエス様が十字架上で死なれた様を見た百人体長は、最後の最後まで他人をのろうことも無く、いかにもすべての罪人の身代わりとなって死のうとされたイエス様の態度を目の当たりにし、「本当に、この人は正しい人だった」とつぶやいたのでしょう。
それは、それほどに、イエス様のお姿が、見る者の心を打つものであったからなのでしょう。

まだ息子が生まれて間もない頃、子供映画を見せるために映画館に連れて行き、ある場面で、恐ろしい雰囲気のBGMが流れた時、たいそう怖がっていたことがありました。それ以来、映画館に行くことはやめましたが、ストーリーも分からない幼子でも、恐ろしい雰囲気というものを感じ取ることができるようです。
もちろん、恐ろしいだけでなく、楽しい雰囲気、安らかな雰囲気、悲しい雰囲気など、人は生まれつき、そのような雰囲気を感じ取ることができるようです。
言葉を超えた何か、音や迫力、真実な力ある事柄には、やはり、それなりの雰囲気というものを持っているのでしょう。
イエス様の十字架の上でのお姿、態度、言葉、それらすべてが、百人体長に「本当に、この人は正しい人だった」言わしめるほど、真実迫るものであったということを物語っていると言えるでしょう。
私たちの語る証しやメッセージも、真実に迫る、雰囲気をもったものとなるように願うものです。