1ヨハネ2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
2:3 わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。
2:4 「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
2:5 しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
ある方が「イエス様が十字架にかけられた時、一緒に十字架に貼り付けにされた人が、その場で悔い改めて、イエス様と共にパラダイスにいると言われたから、自分も平安がある」と言っていたことがある。
一見、素晴らしい信仰のように見えるが、その意図は、何度同じ過ちを犯しても、あるいは、一生の間、ずっと罪を犯し続けても、イエス様はどんな罪も赦してくださるから平気だというものであり、そのことを聞いたときは、なんとも恐ろしいことだろうと思った。
イエス様は、何のためにその尊い命を捧げられたのか。
私たちが罪を犯さないようになるためだと語られているというのに。
実際、イエス様は、他の箇所でも、罪の赦しを宣言したあとに、これからは同じ過ちを犯してはならないということを告げておられる。
ヨハネ5:14 そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」。
ヨハネ8:11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
確かにイエス様は、どんな罪でも赦してくださる。
しかし、侮ってはいけない。
赦すことと許すこととは根本的にことなるからである。
イエス様がどれほどの大きな犠牲を支払って、私たちの罪を赦し、光の子としてくださったかということの意味を覚え、御旨にかなう歩みを続けていきたいものである。