コヘレト11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。
11:2 七人と、八人とすら、分かち合っておけ国にどのような災いが起こるか分かったものではない。
11:3 雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。南風に倒されても北風に倒されても木はその倒れたところに横たわる。
11:4 風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない。
11:5 妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるのかも分からないのに、すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。
11:6 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれかそれとも両方なのか、分からないのだから。
11:7 光は快く、太陽を見るのは楽しい。
11:8 長生きし、喜びに満ちているときにも暗い日々も多くあろうことを忘れないように。何が来ようとすべて空しい。
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。知っておくがよい神はそれらすべてについてお前を裁きの座に連れて行かれると。
11:10 心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。若さも青春も空しい。
本日の日課を読んでいて、ルカ16章でイエス様の語られた御言葉を思いめぐらした。
ルカ16:1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。
16:2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』
16:3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。
16:4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』
16:5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。
16:6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』
16:7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』
16:8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
16:9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
私たちの人生には、いつ何が起こるのか、誰にもわからない。
だから、何が起こっても良いように、日ごろから様々な備えをしておくことは良いことである。
しかし、不正にまみれた富まで用いて、来るべき日に向けて心の備えをしておかなければならないのであるならば、私たちは、常に難しい判断を迫られているように思えなくない。
しかし、何が不正の富で、何が公正な富であるかと考えたとき、私たちの身の回りを取り巻いているあらゆるものが不正の富ではないかと思えてくるのだ。
私たちが働いてい得る報酬は、本当に公正なものなのだろうか。
そもそも、全ての富の根源は、全て、神様が創られた世界の中にあるものから生み出され、人がそれを用いているだけではないだろうか。
そう、全ては主なる神様から、タダで与えられたものである。
そう考えるとき、あらゆることに感謝する心を忘れてはならないことを思わされる。
そして、自分にとって、これは益ではないとか、不正なものだとか決め付けてしまわないで、そこにも、なんらかの主のご計画があるのかもしれないということを覚え、どうにもならない事柄の前では、それを受け入れ、主の時を待ち望む心構えを養っていけたら、と思う。